ありえへん世界クイズの王様はらたいらに捧げた妻の全人生


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3月17日のありえへん世界。

偉人を陰で支えた妻SP。

漫画家はらたいらを支えた妻とは。

破天荒なはらたいらを体を張って守ったありえへん妻!

漫画家はらたいら

はらたいらは1943年、高知に誕生。

これはペンネームではない。

本名である。

小さな時から漫画の落書きばかり描いていた。

中学2年生で結核に掛かり入院。

漫画に集中することができた。

高校時代には地元の新聞に掲載。

プロになることを夢みた。

高校3年で運命の出会い

校内新聞に掲載された
作品に感銘受けた女性。

それがのちの妻・ちず子さん。

しかし、二人が会話を交わすことはなかった。

高校時代から飲みに歩いていたはらたいら

支払いを求めて学校に請求しに来る人もいた。

ちず子上京

ちず子は18歳で就職のために上京。

ある日、ちず子の職場に
1本の電話が掛かってきた。

はらたいらからの電話。

当時はらたいらはジャニーズ系の甘いマスク。

ちず子さんは大喜びで受けた。

後日、喫茶店で待ち合わせ。

プロの漫画家は忙しくて大変。

たわいない話で盛り上がった。

そして支払いははらたいら
引き受けてくれた。

店で会計するはらたいらの姿を見たのは
それが最後。

忙しい毎日とは縁のない極貧生活。

生活費を得るために血液銀行で血を売っていた。

はらたいらからのありえへん行動

はらたいらは金を借りるようになった。

そして、会社まで借りにくるようになる。

しかし、ちず子さんははらたいらに惚れてた。

はらたいらちず子さんに金をせびるようになった。

そして 会社まで来るようになった。

首になったちず子。

 夫婦になった二人

しかし、才能のある人間が
世に出ないのはおかしい。

ちず子さんははらたいら
惚れ込んでいた。

恋愛対象じゃないけど結婚するのは
しっかり者のおまえがいい。

これがプロポーズ。

1964年 二人で生活

三畳一間のぼろアパート。

寝床は押し入れの中。
依然、極貧生活は続いた。

そんな狭い部屋で
頻繁に漫画家仲間と酒盛り。

その間にも、
ちず子は2つ仕事を掛け持ち。

夫の邪魔にならないようにと
夜の仕事が終わると朝まで
外で散歩。

はらたいらの酒代を稼ぐため
そのまま仕事に向かう毎日。

わたしの選んだ道
選んだ人だからこれでいい。

愚痴の一つもこぼさなかった。

そんな毎日だから、
ちず子の体重16キロもダウン。

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支援のかいあって漫画の仕事が好転

少しずつ連載を増やしていくはらたいら

その甘いマスクから
漫画界のアラン・ドロンと言われた。

人気もウナギのぼりに!

引っ越して二人の子供にも恵まれた。

二人の夫婦生活は漫画中心、

夫婦喧嘩すると、そのことをひきずって
はらたいらは漫画が描けなくなる。

だから、ちず子は喧嘩をしないように
常に気を遣う毎日。

それをいいことに
はらたいらは、
どんどん亭主関白になっていった。

人生を変える運命の出来事

33歳の時、

クイズダービーのレギュラー出演の依頼。

博識ぶりと甘いマスクが大橋巨泉に気に入られ
回答者に大抜擢。

その後、はらたいらは快進撃。

もっとも高い正解率を誇り

27問連続正解という偉業を成し遂げた。

はらたいらに全部という流行語まで誕生。

クイズダービーは最高視聴率40%を誇る
おばけ番組にまで成長した。

大橋巨泉 はらたいらを語る

大橋 僕の持ち駒として超一流でしたね。

竹下景子が角で
はらたいらは飛車。

はらたいらがいなかったら
クイズダービーは
あおそこまで成長しなかったと回顧した。

驚異的な回答率のありえへん理由

その秘密は

はらたいらの仕事にあった。

風刺漫画を描くために

本、新聞、雑誌まで
あらゆる分野を異常にリサーチ。

ネットがなかった時代

読んだものから出題されることも多かった。

また放送日周辺のイベントを調べて
問題を予想するなど努力も惜しまなかった。

しかし成績が上がるにつれて
プレッシャーは増していった。

生きている百貨辞典との評価も。

しかし家庭ではピリピリ。

妻からは3年間、声を掛けなかった。

1992年 49斎クイズダービー終了。

4842問正解という偉業を成し遂げた。

クイズダービーバブルで仕事が増加

1か月に20日以上の講演会。

合間に漫画を描く毎日。

だがクイズ番組と違って
トーク番組は喋る能力を求められた。

しゃべれない自分に自信喪失。

そんな心労も重なって
40歳のある日、過労で
講演中に倒れる事態に。

これをきっかけに
仕事を全盛期の2割に減らす。

だが精神はうつ状態に。

寝る時間を惜しんでまで
飲んでいた酒の量も減った。

ちず子は、そんなはらたいら
様子が心配でならなかった。

妻ちず子のありえへん決断

49斎で乳がん。

わたしがいないとはらたいら
大変なことになる。

入院期間を短くするために
残せる可能性のあった乳房を全摘手術。

自分の体より
はらたいらを支える事を
ちず子は選んだのだった。

はらたいら 肝硬変

長年の深酒がたたり
はらたいらは肝硬変を発症した。

人見知りで
ナースコールもおせないはらたいら

ちず子は寂しがるはらたいらを看病する為
内緒で病院に泊まり込み。

そんな妻ちず子はらたいらが残した言葉。

もう一度生まれ変わってもおまえと一緒になりたい

出会ってから45年。

最初で最後の感謝の言葉だった。

はらたいらは2006年63斎で他界。

妻 結婚したことに後悔はありません。

はらたいらに全部、わたしの人生全部、
そう決めていましたから。

 

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