笑ってコラえて1月13日携帯電話の父奥村善久博士に注目!


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の億人の大質問!?笑ってコラえて!。

新コーナー!

ノーベル賞じゃないけどノーベル賞くらいスゴイ賞を取った日本人の旅。

とっても長い名前のコーナー。

ノーベル賞くらいスゴイ賞とは?

チャールズ・スターク・ドレ―パー賞。

日本人初の受賞者は奥村善久博士。

どちらも初めてで聞いたことがない~。

工学界のノーベル賞

アメリカ人のチャールズ・スターク・ドレ―パー。

科学者でありエンジニアでもある。

人類初の月面着陸。

NASAのアポロ誘導コンピュータを開発設計。

チャールズ・スターク・ドレ―パー賞とは、

自由で快適な生活と情報アクセスをもたらすような輝かしい業績を持つエンジニアを顕彰するもの。

過去の受賞実績

生活に密着したものに対して与えられる。

2001年インターネット。

2003年GPS。

2006年デジタルカメラCCD。

ここ最近は日本人が受賞。

2015年LED 赤崎勇博士、中村修二博士。

2014年リチウムイオン 吉野彰博士、西美緒博士。

2013年の日本人初受賞者は奥村善久博士。

当時87歳。

その他に4人が同時受賞。

共通点がある。

1960年代に携帯電話や通信システムの開発に貢献。

言わば、”携帯電話の父”

奥村善久博士の受賞理由は?

奥村カーブとは?

奥村善久博士の履歴

大正15年生まれた奥村善久

1939年石川県金沢市立工業学校入学。

勉強部屋に電気スタンドがなかった。

ないなら作れ。

自分で作ってしまった。

1945年石川県金沢工業専門学校 電気科。

2年の時、学徒動員。

陸軍航空技術研究所に召集。

飛行機との無線通信を研究。

6、7台あった無線通信はどれもまともじゃなかった。

それを修理した奥村善久

これは嬉しいなと思ったのも束の間。

8月終戦になった。

1950年、24歳で電気通信省電波課へ。

2年後にそこが電電公社になる。

奥村善久の研究

無線のエンジニアになった奥村善久

終戦当時の奄美大島と沖縄。

電話とテレビの回線を無線電波でつなぐ。

1961年、京都大学高額博士学位を取得。

山岳回折伝播歪に関する研究が認められた。

携帯電話の礎を作る

1962年の固定電話加入台数は約220万台。

10世帯に1世帯。

そんな時代に無線で移動通信を作ろうと考えた。

アメリカでも同じようなことを考えていた。

時計型の通信システムを予想。

もたもたできない。

先に開発しなければ・・・。

どんなタイプを目指すか。

当時の無線機は大きかった。

持ち歩くのは難しかった。

車に付けるしかなかった。

自動車電話。

ないものは作る!

距離が2倍になると 電波の強さは4分の1になる。

これは一般論。

実際の生活では様々な障害がある。

実際にはどうなのか。

分析、解析して設計法を作るしかないと思った。

「こんな大それた広範な実験をやった所は世界ではどこにもない」

ないものは作ってしまえばいい!

地道なデータ収集

関東平野半径100キロ圏内。

無線電波測定実験を開始。

発信基地は東京タワー。

「放送の電波が乱れる」

初めは断られた。

しかし粘って交渉し、許可をもらった。

高さ150mと250mの2地点にアンテナ設置。

1962年11月 移動電波伝搬実験開始。

車に受信アンテナを設置。

真空管測定器で波の強さを測定しグラフ化。

建物に自然の山など。

周波数は4つ用意。

時速20キロから30キロで走行しデータを取る。

データが集まったら、統計作り。

巡回戦術で結果をまとめた。

今のようにパソコンが普及していない。

6年間かかった。

奥村カーブとは

さて、奥村カーブとは何か。

奥村善久博士は曲線図だと言う。

縦軸が電波の強さ。

横軸は基地局からの距離。

距離が遠くなれば電波の強さが弱くなる。

より実践的な環境で電波がどれだけ遠くに届くのか。

周波数別に4種類。

市街地用、郊外地用、開放地用に分けた。

更に陸海混合地形用、孤立山岳地形用なども作成。

この曲線図を作ったあとが問題。

関東一円で移動電話を使えるようにすること。

基地局をどこに作るのか。

地図に円を描いていく。

円と円が重なる部分が大きくなる。

それでは無駄が多くなる。

蜂の巣がお手本

奥村善久は基地局設置で苦心していた時。

目に入ったのは、ハチの巣。

六角形の形には隙間がない。

広い地域に正六角形を並べる。

その頂点を通る円を書けば縁を重なる部分は最小になる。

その形は細胞に似ている。

”細胞の”って意味のセルラー。

これをとって、セルラー方式と呼ばれた。

基地局設置をどのくらいの密度で設置すればいいのか。

机上で計算できるようになった。

このシステムは現在にも応用されている。

自動車電話サービスの利用開始

1975年 電電公社退社した奥村善久

1979年 金沢工業大学電気工学科教授に就任。

その年の夏。

1本の電話がなった。

それは昔の部下からだった。

自動車電話から掛けてくれていた。

奥村善久が退社後、後輩があとを引き継いでいた。

12月3日自動車電話サービス開始。

4年後アメリカでも自動車電話。

翌年携帯電話が実用化された。

奥村善久が作った奥村カーブ。

世界にそのデータを提供している。

それも大きな功績といえる。

 

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