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変わり果てたグレート義太夫
たけし軍団の一人、グレート義太夫、本名は鈴木正之。
大きな体と長髪が特徴、ピーク時には120キロだった。
しかし、現在のグレート義太夫の姿は違う。
髪は短く刈り込まれ、体重は67キロ。
どうしてこうなったのか・・・。
高血糖で倒れる
1995年当時36歳だったグレート義太夫。
自宅で立ち上がった瞬間倒れた。
付き合っていた彼女が救急車を呼んでくれた。
空腹時の血糖値が630。
普通だったら、昏睡状態になってもおかしくない数値。
このままではダメだ、治療を。
しかし、医師のもとで真面目に治療に専念したのはわずか3か月だった。
自分を変えられない義太夫
義太夫は怠惰な生活に戻っていた。
食事の量が抑えられない。
バランスも悪い。 気が付いたときには腎不全になっていた。
人工透析の苦しい生活
透析は機能しなくなった腎臓のかわりを行う。
血液をろ過し、きれいにして、余分な水分を取り除くのだ。
体中の血液をろ過して、きれいな血液を体内に戻す。
1日5時間の透析を週に3日行う。
透析を行う前にシャント手術をしている。
シャント手術とは動脈と静脈をつなぎ合わせる手術。
この手術で、静脈に多くの血液が流れることが可能になる。
透析患者はこの手術が必要になる。
シャント手術をしたほうの腕は負担をかけられない。
縫った部分が破れやすいのだ。
重たい荷物はもてない。
ビールは飲めない。かわりにウーロン茶を飲む。
しかし、水分はたくさん摂れない。
排出されない水分は体の負担になる。
腎不全だとカリウムも排出できない。
高カリウム血症が起きる。
高カリウム血症を放置すると致死性不整脈になる。
外食時の生野菜はカリウムが残っている可能性があるので、不安。
だから、外では生野菜は食べない。
グレート義太夫が透析後に立ち寄るところ
グレート義太夫の母親は今82歳。
一人暮らしをしている母親の元へ行き、手料理を食べる。
母親は両ひざと左耳が不自由。
長い間疎遠だったときもあったが、今はよく顔を出す。
一食だけでもごちそうになるので、助かる。
グレート義太夫の父親も糖尿病だった
タクシー運転手だった父親も糖尿病だった。
腎臓を悪化させ、1994年に死亡。
その1年後にグレート義太夫も糖尿病と診断された。
母親はそのことを知ったとき、泣いた。
逞しいと思っていた母親が泣いた。
母親のほんとの気持ちを知る
朝7時。朝食の準備。
漬物、煮豆、サラダとソーセージ。
10年間、一人だけの食事を続けている。
仏前に手を合わせる。
息子のことをお願いする。
9時。
ポシェットを縫う。
これは内職。
内職だけでは食べていけないので、年金と貯金を取り崩しながらの生活。
近所のスーパーへ外出。
この日は息子が食事をしに来る。
前日、息子のために考えた料理を作るため、材料をメモしていた。
糖尿病の息子が安心して食べられる料理を懸命に考えていた。
ごはんは栄養価の高い麦を入れる。
生野菜は十分に水に浸し、カリウムを流す。
スタッフに義太夫が出演した舞台のパンフレットを見せてくれた。
芸人になるのは反対だった。
でも、頑張っている姿は嬉しい。
義太夫が来た。
一緒に食事をする。
「口の音がくちゃくちゃうるさいよ」 と文句を言われる。
「死ななければいい。」 このことが一番重要。
でも、ほんとは一緒に暮らしたい。
母親に懺悔
義太夫に母親の生活と、本音を聞いてもらった。
知らなかった母の想い。
今、何もしてあげられていないのは息子として恥ずかしい。
ずっと甘えていた。
数日後、千葉県東金市へ二人で墓参り。
帰りに母親に詫びる。
数々迷惑をかけてきた。
病気と立ち向かうチャンスはあったのにそうしてこなかった。
これからは一緒に居られたらいいとは思っている。
なるべく早く一緒に暮らすので、よろしく。
ごめんなさい。 これからは親孝行だね。
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