スポンサーリンク
青木貞治のパリ原体験
1月23日放送のアナザースカイ。
世界で活躍するパティシエ・青木定治のアナザースカイとは。
パリは食べ物の街 花の都、パリ。
しかし、青木定治にとっては食の都。
日本のケーキ屋で仕事をしていたとき。
3日間の休暇。
パリに飛んだ!
まだフランの時代。
珈琲は1杯450円くらい。
最初に行ったのは「FAUCHON」。
朝7時、開店前。
シャッターの隙間からピエール・エルメの姿。
菓子を試食中。
この人と対等になりたい。
対等に菓子の話がしたい。
1991年 単身渡仏
ガソリンスタンド、夜のバーテンダーなど。
資金をためて渡仏した青木定治。
フランス語はまだ話せない。
住む場所は先輩の家。
8年間はほとんど無収入労働。
不安よりも楽しかった。
日本人に対して差別意識の強いフランス。
修行に行っても軽く門前払いされる日々。
それでもめげない。
外国人労働局の許可を取るのにも2年。
申請して何日に来いと言われる。
しかし、窓口で名前は呼ばれない。
そんな日が3・4日続いた。
さすがの青木定治もがっくり。
しかし、この怒りは店を出したときに返してもらうぞ!
やはり強い!
転機はケーク・ド・ショコラ
青木定治が30歳の時だった。
パーティに卸すケーキを頼まれた。
「絶対外すなよ」と念を押されたケーキ。
その時出したケーク・ド・ショコラが大評判に。
これが次のステップになった。
青木定治の武器は食材
抹茶のケーキ、ほうじ茶のマカロン・・・。
抹茶などは今では当たり前のように使われるケーキ素材。
青木定治がさきがけだった。
当初和菓子界からは非難。
お茶文化の食材だから、
ケーキには合わない。
しかし、それが受けた。
「日本人なんだから母国を紹介したら?」
そんな忠告がきっかけ。
抹茶、ほうじ茶、わさび、柚子・・・。
日本独自の食材を多く使うようになった。
高知で食材を確認
フランス人は食材にこだわる。
どこの産地?
どうして選んだの?
きちんと説明できないといけない。
今回はゆずの産地へ。
高知県馬路村。
年間平均生産量は約700トン。
ゆずは無農薬で育てられる。
見栄えよりも中身を重視。
香りが高い。
ゆずだけでなく各食材の産地を訪ねるという。
柚子を使ったショコラ パリのサロン・デュ・ショコラ。
トップパティシエが200以上のブースを開く。
ショコラの大イベント。
ここで青木定治は最高位を受賞。
新作は柚子のショコラ「ユゼット」。
柚子のコンフィをショコラでコーティング。
さわやかで凄く美味しい。
パティシエたちも称賛。
シャンパンを飲みたくなる美味しさ。
もちろん馬路村産の柚子を使用。
ジャン・ミエでの修行
ジャン・ミエはフランス伝統菓子の巨匠。
その店に青木定治もいた。
修行期間はわずか半年。
今までジャン・ミエで修行した日本人は優秀だった。
語学もできない。 菓子も知らない。
青木定治は追い出されてしまった。
青木定治はM
厳しいのが好きな青木定治。
弟子たちに目標を訪ねる。
東京で一番になりたいなら、
週末にデートはできる。
世界で一番になりたいのなら
オリンピックと同じ。
ギブアップはできない。
相当の覚悟が必要。
ジャン・ミエを継承
わずか半年で終わったジャン・ミエでお修行。
つらい思い出の方が多い。
2014年末1本の電話が入った。
ジャン・ミエの息子クリスチャンから。
ジャン・ミエの後継者になってほしい。
ジャン・ミエはショコラ界の聖地。
身震いする不安。
それでも迷わなかった。
これはいいタイミング。
ここで青木定治は自分に課題を出した。
日本の食材は使わない。
ジャン・ミエの店ではフランス伝統菓子で勝負。
自信のある日本食材は封印。
ジャン・ミエの息子・クリスチャンは言う。
「青木定治はダイナミックで若くて才能がある」
青木定治を信頼しているのだ。
その信頼に青木定治がどう応えるのか。
見届けたい。
スポンサーリンク