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2月28日のサワコの朝。
ゲストは関ジャニの横山裕がゲスト。
2014年は24時間テレビのメインパーソナリティ。
最近上昇気流に乗っている感じ。
でも、最も最も苦労しているジャニーズ。
横山裕がよく聞いた曲
東京で合宿した日々。
当時Mrチルドレンに誰もが影響。
横山裕もよく聞いていた。
特に詞が好き。
曲は、Simple。
歌詞に励まされた。
デビューのきっかけは、おかん
友達がジャニーズに入った。
友達が行けるんだった、あんたも・・・。
関西のおかんらしい発想。
うちの子大好きなんだ。
それで、ジャニーズのオーディション。
踊りに、社長の面接。
どこのおじいちゃん?って思った。
ところが、「世界のジャニー」 自分でそう言ったのにも驚いた。
ニッカポッカでテレビ局へ
横山裕は高校に行っていない。
建設会社に就職していた。
ジャニーズと会社の掛け持ち。
ほかの人は制服でテレビ局へ。
横山裕はニッカポッカ姿。
それはまずいだろうと指摘される。
ジャニーズは夢を売ってナンボだから。
体ボロボロ。
ジャニーズの仕事は忙しくなったので退職。
芸能界がダメだったらいつでも戻ってこい。
お金の大切さを知った会社時代
建設会社では肉体労働。
朝は4時半起き。
まだ子供だった体。
大人と同じ仕事はきつかった。
嬉しかった。
でも、戻ったらダメだとも思った。
タッキーのおこぼれ
タッキーの上昇中だった頃。
タッキーのおかげで仕事が増えた。
タッキーのバックの仕事。
ゴールデンで5本。
大きい声を出すだけしかできなかった。
でも、タッキーがデビュー。
仕事が無くなった。
暇になったので、パチンコ屋へ。
これ、事務所的にはNGの話。
この時21歳。
デビューできず、今だにジュニア。
でも、辞めようとは思わなかった。
俺のことを気づかない世間が悪い。
かなりのポジティブ。
最後のチャンスは無駄にできない
はっきり、落ち目と言われた時。
最後のチャンスを与えられた。
松竹座で舞台。
もう崖っぷち状態のグループ。
舞台は3階建ての小屋。
でも、客は1階しか入らない。
客の目は確か。
いいものしか来ない。
ジャニーズだからといって客は入らない。
賞味期限が切れる寸前。
どうしたらいいのか。
メンバーで話し合った。
客席に出よう。
3階に出た。
しかし、3階には客はいない。
それでも3階に現れると口コミがあれば、
3階に客が入るかもしれない。
可能性があれば、なんでもやる。
コンサートでは何でもやる
お客のために考えたのが、コント。
新喜劇が受ける土地柄。
うけた~。
今でもコンサートではコントをする。
衣装から構成までメンバーで考える。
横山裕発案のエイトレンジャー
エイトレンジャーを考えたのは、横山裕。
それにメンバーが賛同。
いいものを作れば客が認めてくれる
小屋が大きくなった。
地方にも行けるようになった。
47都道府県を周るコンサート
期間はわずか4か月間。
ジャニーズの中で誰も成し遂げていない。
厳しいスケジュール。
喧嘩をする余裕すらない。
疲れすぎてしゃべらなくなる。
でも、メンバーの仲はいい。
ノリが変わらない。
女の子の写真を見ると、
「どれカワイイ?」って聞く。
もう30歳超えているんですけど~。
デビューは演歌調で
嵐のデビューは豪華にハワイで。
でも関ジャニは地味な扱い。
デビュー曲は演歌。
レコード会社の屋上での記者会見。
自分たちで幟を全開で振った。
「なんでやねん」
扱いの違いに不満もあった。
でも、デビューできた喜びはひとしお。
デビュー曲は「浪速いろは節」 演歌の売り方。
レコード店周り。
店長と握手してCDを置いてもらう。
めちゃくちゃどさ周り。
アイドルではなくジャニーズ
横山裕にはアイドルの意識はない。
アイドルではなく、ジャニーズ。
ジャニーズだから、いろいろ経験できる。
多くを吸収して大きくなりたい。
おかんの代わりになる
ジャニーズに入るきっかけを作ったおかん。
亡くなったのは3~4年前。
いつも活動を見守ってくれた。
大阪ホールでは、
ソロコンサートができた。
おかんが亡くなる1週間前。
これが最後の親孝行。
横山裕には二人の弟がいる。
弟たちを一人前にする。
母親との約束。
思いがけず男前だった横山裕。
阿川佐和子もビックリ。
関ジャニ博物館
3月4日夜7時にとんでもない番組が放送される。
「関ジャニエイト博物館」
世の中に滅多にないものを集めるという企画。
新橋では筆作りのための毛を集める。
薄毛の人から毛を分けてもらう。
大事な毛を譲ってもらうのだ。
とても申し訳ない話。
無事作られたのか?
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