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5月8日の金スマ。
TBS日曜劇場「天皇の料理番」。
ドラマの伝説の料理人、
それは、秋山徳蔵さん。
大正天皇と昭和天皇に仕えた名料理人。
秋山徳蔵さんの弟子、谷部金次郎さん。
スタジオで天皇家の食卓の秘話を話す。
天皇の料理番は国家公務員
宮内庁大膳課に勤務する天皇の料理番。
国家公務員である。
天皇の毎日の食事や、宮中行事の料理を作る。
とってもセンシティブな仕事。
谷部金次郎さんは警察から身辺調査を受けた。
面接後3か月に渡って。
宮内庁御用達の店は現在はなし
1891年に発足した宮内庁御用達制度。
宮内省に納品する業者は「宮内省御用達」を名乗れた。
しかし1954年御用達制度は廃止。
商業活動の機会の均等などが理由。
よく耳にする「宮内庁御用達」。
正しくは「元宮内庁御用達」だそうです。
宮内庁にはどのように納品するのか?
元宮内庁御用達の超有名店。
渋谷区のコロンバン。
日本初のフランス菓子店。
現在もケーキを宮内庁に納めている。
創業者の門倉國輝。
当時の宮内省大膳寮で3年間、洋菓子を担当。
宮内省からの信頼が厚かった。
その為創業時から宮内省御用達だった。
納品業者は通行証を所持して納品していた。
天皇に出してはいけない料理とは?
ふぐ料理は出してはいけない。
谷部金次郎さんが26年間しなかったこと
天皇の料理番だった谷部金次郎さん。
26年間天皇の下で勤務。
しかし、一度も天皇と話したことがない。
天皇と話してはいけない訳ではない。
話す機会がないだけ。
天皇からのお言葉とは?
一度だけ天皇からお言葉をいただいたことがある。
それは谷部金次郎さんが24歳のとき。
宮内省に勤めて7年目。
菊栄親睦会の席。
模擬店で天ぷらの担当をした谷部金次郎さん。
緊張していた。
そこに昭和天皇がいらっしゃった。
「穴子とシソを」
「はい、かしこましました」
その後は緊張のあまりに手が震えた。
なかなか穴子を掴めない。
青ジソは薄いのでこれも掴みづらい。
天皇陛下は立って待ってらっしゃる。
出来上がりは上手くなかった。
それでも天皇陛下は美味しそうに食べてくれた。
その姿に優しさと威厳と感じた谷部金次郎さん。
天皇陛下からの質問
女官を通じて質問を受けた谷部金次郎さん。
ある年の元旦。
厨房に女官が慌てて入ってきた。
昨日の紅白の結果を知っている人はいないか?
そう聞かれた。
天皇陛下が結果を知りたがっていらっしゃる。
しかし、年末年始は大膳課は大忙し。
誰も紅白歌合戦を観ていない。
谷部金次郎さんは直接NHKに電話。
なんとか昭和天皇の質問に答えることができた。
谷部金次郎さんの大きな失敗とは?
天皇と皇后さまが食事のために着席。
いつものようにご飯を御櫃に移そうとした。
その時谷部金次郎さんは大きなミスに気が付いた。
炊飯器のスイッチを入れるのを忘れていた。
30分待っていただきたい。
女官を通じて陛下にお願い。
天皇陛下は何も咎めず30分待って下さった。
天皇陛下がいただいたお米は?
天皇や皇后はどんなご飯を食べていたのか?
それは東京文京区にある普通の米屋。
小黒米店。
店主は92歳まで48年間バイクで配達。
1代目の引退まで続いた。
米は1代目が全て自分の目で点検して納品。
その時期にあったブレンド米を納品。
1代目の目利きの力が評価されていた。
天皇の玄孫、竹田恒泰が当時の米を試食。
米は新潟産コシヒカリ。
ツヤのある米。
精米したてなので酸化してなくて、コメが甘い。
天皇家の味付のり
のちに明治天皇の侍従となる山岡鉄舟。
山本海苔店の2代目と二人、道場で稽古。
明治天皇が京都に帰るとき。
東京のお土産でいいものはないか?
醤油や味醂をつけた海苔を作った。
明治2年、山本海苔店が味付けのりを献上。
これが契機で御用達の仲間入り。
黒い箱に朱文字で「宮内省御用達」
この箱に海苔を入れて納めていた。
現在も毎年宮内省に海苔を納めている。
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