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の夢の扉+。
”和食”はユネスコ無形文化遺産に登録。
海外にも”和食”が浸透。
しかし海外のスーパーには売られている醤油。
それは日本の醤油ではなかった。
200年以上の歴史を持つ醤油
滋賀県愛知郡。
江戸時代に創業した丸中醤油。
ここで作られる醤油は3年の月日が必要。
市販されている醤油は半年から1年で作る。
時間と手間をかけることで出来る味。
それがここにある。
丸中醤油の宝は蔵に棲む醸造菌たち。
コクとまろやかさを作っている。
京都の老舗料亭、菊乃井。
主人の村田吉弘も太鼓判を押す。
「熱を加えても美味しい醤油」
伝統の味を守る弟と姉
丸中醤油の社長、8代目中居真和。
姉の岡部敦子は専務で営業担当。
岡部敦子が結婚した頃、日本食離れが続いた。
醤油の出荷量は大きくダウン。
廃業の危機を迎えた丸中醤油。
この仕込みを辞めれた、3年後に廃業できる・・・。
しかし、中居真和は続けることを決意。
大事に守られた味を自分も守りたい。
その事を電話で姉・岡部敦子に告げた。
姉は弟の力になることを決意。
専業主婦から営業の仕事を始めた。
反発し合う弟と姉
塩吊り、舟絞り、櫂入れ。
丸中醤油は古式製法を守っている。
中居真和社長をそれを守ることに懸命。
姉の岡部敦子はそれを売ることに懸命。
都内の百貨店に売り込む。
料理評論家の服部幸應がある事実を教えてくれた。
世界の醤油消費量は増加している。
最大の輸出国は中国。
海外に行って本当の醤油の味を知ってほしい。
岡部敦子の想いは強くなった。
交わらない弟と姉
丸中醤油をもっと売りたい。
岡部敦子は1000本の注文を受けたことがある。
1000本は丸中醤油の規模としては大きかった。
伝統の作り方では大量生産は無理。
作り手の気持ちを理解してくれないと思う弟。
姉の海外出立まで3週間。
作り手のアドバイスが欲しくて弟に会った。
容器の見た目も重要と話す姉。
弟「ウチはウチのいいことをアピールすればいい」
姉「私の辛さなんか絶対わからないわ」
平行線のままの弟と姉。
スペインで飛込み営業
スペインに着いた専務の岡部敦子。
服部幸應に紹介されたレストランに行く。
しかし、その前にバルセロナ市内のスーパーへ。
自分の目でどんな醤油が売られているかを調査。
日本製の醤油はなかった。
その後指定の時間まで飛込み営業。
「忙しい」
「地元のものしか使わない」
飛込み営業は上手くはいかなかった。
「チャンスをもらえなかった」
岡部敦子は悔しそうだった。
醤油のティステング
フレンチレストランDisfrutar。
シェフはエドゥアルド・シャトルックさん。
ここでは韓国の醤油を使っている。
赤ワイングラスを借りる岡部敦子。
グラスに醤油を1滴。
手のひらで覆って少し温める。
口に含むようにシェフにお願いする。
「舌の上と下でなじませて余韻を感じてください」
丸中醤油の1滴をティステング。
「すばらしい!この醤油は本当にすごい」
醤油の旨みを絶賛してくれたシェフ。
岡部敦子の目には涙。
うれし涙。
醤油を使うと約束してくれた。
世界一のレストランを訪問
世界一のレストラン雑誌が認めた店。
レストランEl Celler de Can Roca。
シェフはジョアン・ロカ。
彼にも醤油をティステングしてもらう。
「素晴らしい!最高ですね」
お客にこれだけで飲んでほしいくらいとも言ってくれました。
シェフがその場で創作料理を調理。
材料はスイカの長四角いカット。
それをオリーブオイルで焼く。
15分後、マグロの切れ目のように変身。
醤油を塗ってバーナーで断面を焼く。
岡部敦子が試食。
「味わったことのない味」
醤油の更なる活用が見えた。
中居真和へのメッセージ
岡部敦子の海外営業終了。
3軒のレストランが丸中醤油を使ってくれることに。
そして社長で弟の中居真和にお土産。
それはシェフたちの声。
「作るのも大変だが守っていくのも大変だろう」
そして弟を応援したい姉からのメッセージも。
それを見た中居真和。
「醤油を認めてもらって嬉しい」
姉に対しては悪かったなと思いも語っていた。
これからはもっとわかりあえるでしょう。
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