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2017年12月22日のアナザースカイ。
プロ体操選手内村航平。
KINGと呼ばれる男。
五輪と世界体操において男子個人総合では過去3連覇したのが二人。
4連覇は至難の業。
しかし、内村航平は8連覇を成し遂げた。
まさに誰もが認める絶対王者。
内村航平を襲ったアクシデント
2017年10月2日(月)。
モントリオール。
第47回世界体操競技選手権大会でのこと。
跳馬でリ・シャオペン。
高さが足りなかったゆえの出来事。
左足を負傷。
連覇の記録が止まった。
あれから2カ月。
内村航平はロンドンにいた。
内村航平が世界一になった場所
思ったより足の回復が順調。
予定通りアナザースカイのロケは行われた。
ロンドンに来た理由。
それは心を磨くため。
初めて世界一を獲った時の気持ちを思い出す。
それが内村航平にとってのロンドン。
テムズ川に架かるタワーブリッジ
うわ!無理無理無理と内村航平は叫ぶ。
地上40mのタワーブリッジの渡り廊下。
ガラス張りの床。
ぞわっとした感覚が内村航平を襲う。
それでも眺望をスマホで撮影。
クールな精密機械のイメージを破るお茶目さ。
アナザースカイではなくデンジャラススカイと言う。
ガラスがなくなったら俺は死ぬ。
イギリスで一番高いビル ザ・シャード(310m)で思うこと
初めてロンドンに来たのは8年前。
2008年北京五輪の翌年。
北京の金メダリストが引退した。
内村航平は世界一に一番近い存在となった。
2009年世界体操ロンドン。
金メダルを取るために来た街ロンドン。
結果は個人総合優勝。
初めての世界一。
その瞬間に考えたのはオリンピック。
同じ会場でできるロンドン五輪。
ロンドン五輪でも獲れると確信。
ロンドンはゴールではなく始まりの場所。
内村航平のみが確信していた8連覇。
しかし、ここまで続くとは思わなかったというのも本音。
勝利は獲ることに価値。
勝利の余韻には浸らない。
勝てばすぐ次の目標ができる。
唯一の例外だったのがロンドン五輪の金メダル。
勝利の余韻は3日続いた。
3度目にして初めてのロンドン観光
ロンドン食べ歩き
基本的に食事は夜1食だけ。
食べたら重くなるという感覚が自分の中にある。
体操は体を宙に浮かせる技。
それゆえの食習慣。
一日一食が自分の体にはあっている。
我慢しているわけではない。
食べるかどうかは体が判断することなのだ。
市場でほしいものを食べる。
それはソーセージのロースト。
食事をどうすればいいのかは確立されている。
毎日体重を測る選手もいるが内村航平は感覚で判断。
朝起きた時の感覚で解る。
一日一食の食習慣はロンドン世界体操で世界一になった時から。
その習慣が内村航平を支えた。
体操選手のサガ ポールを見ると倒立したくなる
体操選手の妄想。
電車のつり革はつり輪を連想するのでスタンダード。
幅の狭いエスカレータは腕を支持して逆立ちしたくなる。
体操選手が集まると必ず話す妄想。
体に合うスーツがない
ポール・スミスのテーラーに向かう内村航平。
体操選手はみんな苦労していること。
自分に合うスーツがない。
本場でスーツを仕立てるが夢だった。
それが今、現実に。
ポールスミスウエストボーンハウス。
ポールスミスブランドで
フルオーダーメードスーツを注文できる唯一の店がここ。
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Paul Smith WESTBOURNE HOUSE
ポール・スミス本人が内村航平を迎える。
内村航平の業績をファンタスティックだと褒める。
ポール・スミス本人がディレクション。
カッターとパタンナーのトップチームが作るオーダーメイド。
いわゆるピスボーグ。
感動が顔に現れない内村航平。
内心では、凄く感動していたと語る内村航平。
クールに装う体操選手の職業病か。
1000種類の中から生地を選ぶ
生地は1000種類。
表地と裏地を選ぶ。
ポール・スミスの提案。
裏地はカラフルな野菜柄。
裏地を華やかにして遊ぶ。
表地もポール・スミスが提案。
裏地と表地を合わせると具体的なスタイリングが浮かぶ。
サイコー! これで決まり。
スタイルの選択
各ボタンの数や襟の幅・ポケットの形。
ベルトの有無。パンツの形。
スーツのディテイルを決めていく。
スタイルの後は採寸
全身21カ所の寸法を測る。
大量生産とは違う内村航平だけの為のスーツ。
この世に一つしかないオーダー。
着た人と一体になる。
だからこその美しさ。
後日、借り縫いをして、最終調整後完成。
ポール・スミスは内村航平に言う。
会えてとても光栄。
怪我が早く治る事を願うと。
出来上がりは最初、きつく感じていた。
各パーツにいせ込んでいた生地が体に合わせて伸び縮みする。
着るほどに馴染むのがオーダー。
裏地は花柄がつけられていた。
ハリーポッターの聖地巡礼
4~5年前からハリーポッターファンになった内村航平。
同じ作品を5~6回は観ていると言う。
魔法学校へ行く駅に使われたセントパンクラス駅。
駅構内にはあの9-3/4番線がある。
ここで記念撮影ができる。
「すげえ」と喜ぶ内村航平。
順番を待つKING。
グリフィンドールの赤いマフラーをたなびかせ、
プラットフォームを杖で指して、
記念撮影完了。
その後もハリーポッターの聖地巡礼。
騎士団の隠れ家となったクレアモントスクエア。
ダイアゴン横丁のレドンホールマーケット。
イギリス観光を楽しんだ内村航平。
肩甲骨を自在に出せる男
普段、内村航平はジムで筋トレをしない。
体操に必要な体は体操で作るのだ。
今回はジムで筋トレする貴重な内村航平を観られた。
自分の体以上を持ち上げる筋肉は必要ではない。
しかし、体操は指の筋肉まで使う。
そして、体操は筋肉だけでない骨も使う。
肩甲骨を出せるようにならないとダメと言う。
意味がわからない。
内村航平が見本を見せてくれた。
肩甲骨が出ている!
まるで小さな羽!
体操は筋肉だけではない
体操の基本は倒立。
側転側店もバク転も逆さまになる。
関節を一直線に並べることを意識すると美しい倒立ができる。
言うは易く行うは難し。
真っ直ぐになるまでにすごい時間がかかる。
腕で支えてる肩が前に来るとバランスが崩れる。
十時懸垂も筋肉だけでなくバランスが大事。
個人総合のためのバランス
内村航平が怪我をすることになったㇼ・シャオペン。
技の時間は約2秒。
その間に100個くらいの動きを考えている。
それが一つの技を作っている。
ㇼ・シャオペンができるまで5年間かかった内村航平。
個人総合だと全部で51技がある。
あん馬は筋肉があまり付いていない方がいい。
つり輪は筋肉がムキムキの人の方が得意。
各種目には得意な選手がいる。
その中で内村航平は闘っている。
怪我をした時、普段より高く飛んでいなかった。
最後にねじ込みにいった時に左足に体重がかかってしまった。
スネが真っ二つにの折れた感覚だった。
前距腓靭帯の不全断裂。
体操にリスクは付きもの。
ほぼ365日、体のどこかが痛い。
リオ五輪での鉄棒の時も腰がピキッと来た。
最後まで演技ができた。
しかし、立てなくなっていた。
内村航平リハビリ中
内村航平の国内練習。
キング内村航平が後転をしている。
前傾姿勢でしゃがんで荷重がかかると痛い。
ちょっと痛くても動きの中でリハビリを行う。
ケガの影響のない練習は100%行う。
だから、鉄棒の離れ業は行うことができる。
内村記念アリーナで子供たちの為の体操教室。
飛び箱を飛ぶ子供たちの補助をする内村航平。
飛びなかった子供たちを持ち上げて移動させる。
ほとんど内村航平のための筋トレ。
体操の楽しさを伝えたい
内村航平が最初に出た大会。
結果は最下位。
全然、体操は上手ではなかった。
一番嬉しかったのは小学1年の時。
蹴上がりができたのだ。
嬉しすぎて、体育館を走り回った。
あれ以上の感動をまだないという。
年齢や実力は楽しさとは関係ない。
ロンドン五輪後。
世界選手権3連覇しても体操の知名度が上がらないと思った内村航平。
メディアでのインタビューにあまり熱心でなかった。
トップに立っている人間が体操の魅力を伝えないといけない。
自分の言葉で話すことを心掛けるようになった。
体操の勝敗よりも大切なこと美しさがあることを知ってもらい。
東京で金を目指す
ロンドン五輪で満足する結果があれば引退。
そう思っていたが、団体の金は獲れなかった。
2016年リオ五輪で、団体でも金を獲った。
リオ五輪で引退も考えていた内村航平。
しかし2013年9月。
2020年の五輪が東京に決定。
テレビを観ていた内村航平。
「東京だ、やんなきゃ」
運命を感じた。
2020年、内村航平は31歳になる。
体力的にきつい。
でも、内村航平には経験値がある。
若く勢いのある選手に負けられない。
内容とか色んな人に魅力を伝えたいと言う。
天才は努力で作られる
内村航平は初めから体操が上手かったわけではない。
努力したために今がある。
内村航平を世間では天才だという。
ならば、天才は努力を続けられる人だと内村航平は考える。
努力があるからこそ一つの技として形になる。
体操選手の多くが内村航平を目標にしている。
僕みたいな選手を目標にしてくれてと感謝の気持ちがある内村。
まだ内村航平は未完成だと話す。
新しい技をモノにすると、もっといいイメージが沸いてくる。
常に目標があらわれるのだ。
その気持ちを持って東京五輪を目指している。
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