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2017年12月23日のサワコの朝。
ゲストは山本リンダ66歳。
歌手デビューから51年目。
山あり谷ありの人生。
「どうにもとまらない」などヒット曲の誕生秘話を話した。
こまっちゃうなはリンダの言葉だった
小学生からモデルをしていた山本リンダ。
歌のレッスンも欠かさなかった。
着物を着せて演歌を歌わせようって話になった。
紹介されたのが作曲家の遠藤実。
遠藤実にどんな曲が好きかと問われ、
「夢見るシャンソン人形」と答えた山本リンダ。
演歌はあまり好きではなかった。
遠藤実は「ボーイフレンドはいるのか」と聞いた。
有名な先生の前で上がっていた山本リンダ。
思わず「困っちゃうナー」と答えた。
この言葉が遠藤実にとって印象深かった。
自宅へ帰る車の中で「こまっちゃうナ」を書いた。
作詞も遠藤実が担当。
山本リンダ人気低迷
山本リンダは15歳の時に「こまっちゃうナ」でデビュー。
甘ったるい独特の唄い方で人気急上昇。
しかし、次第に売れなくなる。
最初の曲のイメージが強かった。
髪型も変えた。
服装も変えた。
大人っぽくしたが人気は戻らない。
1971年、リンダプロジェクトが発足された。
山本リンダを感動させた曲
リンダプロジェクトが発足したが、
ずっと曲ができない。
秋に話があり、冬になって、春になった。
不安に押しつぶされそうだった山本リンダ。
曲が届いた。
それが「どうにもとまらない」
作曲は都倉俊一。
曲を聴いた山本リンダはカッコイイと思った。
作詞は阿久悠。
「うわさを信じちゃいけないよ
わたしの心はうぶなのさ・・・」
詞もかっこいいと感動。
読みすすめると涙がぽろぽろ落ちる。
待っていた通りの歌だ!
これで生まれ変われる!
山本リンダは嬉しくてたまらなかった。
都倉俊一から厳しい叱咤
新しい曲ができて喜びすぎた山本リンダ。
歌い出すと笑顔が止まらない。
笑顔で都倉俊一からダメ出し。
「笑う歌じゃない!口は縦にしろ!」
「違うだろ!腹から声が出ないのか!」
歌い出しから何度も直された。
「うわさ、うわさ、うわさ・・・」
もっと睨めと言われた山本リンダ。
腹から声を出し、睨みながら歌った。
「そうだ」と都倉俊一からOKが出た。
子供から人気が出た
「どうにもとまらない」のレコーディングは上々。
ブラジルがイメージの曲。
衣装はへそ出しスタイル。
腰を振る振付け。
それが子供たちにウケた。
あのリンダちゃんが…と人々を驚かせた。
山本リンダは真剣だった。
この曲がダメなら歌手としておしまいだと思っていた。
阿久悠の思いが込められた狙いうち
山本リンダの1973年の「狙いうち」。
こちらも作曲都倉俊一、作詞阿久悠。
歌詞の「うらら うらら」には阿久悠の思いが込められていた。
まだ男尊女卑の思想が強かった時代。
「狙いうち」の主役は新しい女性像だった。
わたしについてらっしゃいってタイプなのだ。
男尊女卑を憂う阿久悠。
これでは世の中よくならない。
女性はのびのびとしないといけない。
それが男性の平和につながると思っていた。
リンダプロジェクトのオファーを受け、
山本リンダで理想の世界を作ろうとしたのだった。
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