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2020年2月11日のセブンルール。
静岡市青葉横丁。
昭和23年創業の「おでんのおがわ」
70年間継ぎ足されたスープが味の決め手。
「おでんのおがわ」の看板娘。
中津川真生子47歳のセブンルールとは?
1 糸こんにゃくは結ばない
朝7時、中津川真生子は店でスープの仕込みを始める。
牛スジを2時間半煮込む。
味付けは醤油だけ。
これをずっと継ぎ足している。
スープは命の次に大事。
具の準備は弟の嫁、恵子さんも手伝う。
じゃがいもは多い時で120個。
ゆで卵は300個。
母の光枝さんはあっという間に剥いていく。
一番人気の牛スジは串に刺す。
1日で1000本出ることもある。
「おでんのおがわ」では糸こんにゃくを串に巻く。
キュッと結んだりはしない。
手で巻くとふんわりして味が染みやすくなる。
これは祖母からの教えでもある。
2 お客さんの自己申請を信じて会計する
串に刺さったおでん種。
食べる時にだし粉(イワシの煮干しとアオサの粉末)をかける。
これが静岡流。
「おでんのおがわ」のおでんは1本90円から。
会計は串の数でする。
たまごと糸こんにゃくはあったかをお客に聞く。
お客の申告で算盤で計算。
それが「おがわ流」。
3 毎日おでんTシャツを着る
曽祖母、ゆくさん。
祖母、末子さん。
母、光枝さんは3代目。
中津川真生子は長女として生まれた。
お店で母親は毎日忙しかった。
外食も旅行もできなかった。
スープを捨てたくても捨てられず、
大きな鍋に移して隠したこともあった。
神奈川の専門学校を卒業後は歯科衛生士として働いた。
店とは関係のない人生を送っていた。
中津川真生子に変化が起きたのは15年前。
突然、祖母が亡くなった。
母を支えたいと思った。
弟の妻と一緒に店の仕事を手伝い始めた時32歳。
手伝うことに違和感はなかったという弟の嫁、恵子さん。
二人はいつも”おでんTシャツ”を着ている。
お店で働く時だけではない。
買い物する時も学校の運動会の時もコレ。
おでん愛が強くなっている。
祖母や母がお店で頑張っている気持ちがわかってきた。
4 夕食は家族分をまとめて作る
中津川真生子の娘が学校から帰ってきた。
店で宿題し店の手伝いもする。
会計は算数の勉強になる。
夕方5時。
母の光枝さんが夕飯作り。
この日は餃子。
恵子さんが包んで、真生子がフライパンで焼く。
3家族の夕食を一緒に作って持ち帰るのが恒例。
支え合って生きているのである。
5 子供のお弁当は必ず手作り
夕方8時。
中津川真生子が帰宅。
夫は4年前まで競輪選手だった。
今は魚市場で働いている
馴れ初めは「ママがビーチでナンパだ」と娘が話す。
28歳で結婚した。
長男は高校生。
家族の団らんは夕食の10分間のみ。
家が商売をしていると早く食べるのが癖になっている。
朝6時。
中津川真生子が毎朝続けていること。
長男のための弁当作り。
忙しくても弁当は自分で作っている。
6 移動中はB’Zを聴く
毎週末、中津川真生子はお祭りやイベントに出店。
これは静岡おでんを広めるため。
1日にイベント2件こなすこともある。
多忙である。
朝7時に店で仕込みして、その後イベントの設営。
お店に帰ってきてお店をやってまたイベントに行く。
移動中、車で聴く曲はB’Zと決めている。
20年以上前のベストアルバムがお気に入り。
これで元気が出る。
7 365日 スープに火を入れる
子供の頃、いつも母親に取られた。
中津川真生子は寂しくて祖母に八つ当たりしていた。
「お母さんをこんなに働かせて!」
だから、祖母が亡くなるまでほとんど店にたたなかった。
定休日。
スープに火を入れる。
365日、この作業は欠かせない。
「スープは生きている」
祖母の遺言。
スープの大事さを今はわかるようになっていた。
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