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2014年3月5日放送でオープンできなかったOkomusuめでたくオープン!
下記の写真は,Okomusuのあるシャーロット通りの無料画像。
著作権の関係上中々ジャストのものは掲載できません。
下記のgooglemapは、Okomusuができる前のレストランの様子。
現在の外観は、PinterestでOkomusuと検索すると表示されますよ。
何故、田淵寛子さんはパリで起業することになったのか?
決まっていた結婚が暗礁に。
なにかをしなければ気が紛れないでしょと
ルームシェアをしていた友人が薦めてくれたのが
パーティを主宰すること。
ところが、薦めてくれた友人の
友達のフランス人割合の多いこと、多いこと。
そのパーティで作ったお好み焼きが
思いの他、フランス人に大好評。
2010年の9月19日のことでした。
それから3年後の2013年9月18日、
物件の本契約に至るとは。
想いは実現する。
そして、それは人に話すことで確固としたものになる。
田淵寛子さんのストーリーは、
人との繋がりを強固にした事で 実現したのでした。
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実現するまでの時間的経緯
- 2010年9月発案
- 2011年6月第1回視察
- 2011年8月第2回視察
- 2011年10月第3回視察
- 2012年2月単身渡仏
- 2013年5月物件発見
- 2013年6月物件内覧
- 2013年7月仮契約
- 2013年9月本契約
- 2014年1月工事開始
プロの技術は誰から学んだの?
パリでお好み焼き屋をやる事を
多くの人に話すことによって
その夢を実現する為の
プロの方々を紹介してくださる人達の出会いがありました。
そんな中におたふくソースの方との出会いがあり
日本滞在の短さから 営業店舗での修行は諦め、
メーカー研修を選んだのです。
勿論、独学で2年間で
1,000枚以上は焼くという努力も欠かしませんでした。
お金はどうやって集めたの?
ルームシェアの友達関係から
小さな母集団は形成されていたようです。
今流行のクラウドファンディングなどではなく
知り合いの知り合いというように
自分をきちんと理解してくれる人を
次第に大きくしていく手法をとりました。
その方法はなんと
facebookのグループ機能だったというのです。
そのグループの中で株主を集い、
親からの援助金と仲間の投資で
必要資金をクリアできたのです。
その必要資金の内容は2,050万。
8名の株主と法人一社の投資という内容でした。
では、Okomusuのお好み焼きの動画を御覧ください!
今では、予約しないと入れないほどの盛況をみせるOkomusu。
思えば叶うと実践した田淵寛子さん。
あなたの人生も
変わりたいと願えば 今からでも変われますよ!
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