ありえへん∞世界5月6日ダショー西岡京治秘境シェムガンで農業再生!


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ダショーと呼ばれた日本人

DochuLa Pass BhutanDochuLa Pass Bhutan / Göran Höglund (Kartläsarn)

親日とされるブータン。

この国で国葬された日本人がいる。

ブータンの農業の父とも言われた日本人。

ブータンの人々は、彼をダショー西岡と呼ぶ。

ダショーとは、国王から与えられた称号で、「最高に優れた人」の意味。

日本名は西岡京治(にしおかけいじ)

西岡京治とブータンとの出会い

西岡京治さんは1933年生まれ。少年時代はとても貧しかった。

高校卒業後は、大阪府立大学農学部に入学し、農業について学ぶ。

そして、1964年ブータン政府から農業支援の要請に応え、妻とともブータンへ。

そのとき、西岡京治さんが31歳だった。

ブータン政府から提供された農地はわずか60坪。

西岡京治さんが農業指導を行うのは、3人の少年たち。

最年少の少年は14歳だった。

当時、成人男性は貴重な働き手だったので、研究のためには少年しか用意できなかったのだ。

しかし、西岡京治さんはブータンの状態を理解し、受け入れた。

ブータンにしっかり根付いた日本の大根

そして、日本から持ってきた大根の種を蒔いた。

ブータンは寒暖の差が30度になることもある。

大根は寒暖の差があるほど大きく育つ植物。

まずは、この大根を育て、成果を得ることに。

三か月後、大根は立派に育った。

西岡京治さんの指導を受けた少年たちは、大根の甘さに感激した。

国王との信頼の醸成

国王からの信頼を得る。

国王は西岡京治さんを招き、自分も大根を育てたいと申し出る。

そして、今までの400倍の土地が与えられる。

この土地を利用して、白菜、きゃべつ、にんじんが作られる。

そして、今までの稲作に代わって、日本式の稲作が取り入れられる。

苗を均等の間隔で植えることによって、生産量を増やすことができた。

シェムガンという秘境を農地に変える

16歳の国王の願い、忘れられた土地を救ってほしい

ブータンに来て8年が経った時、まだ若き国王が西岡京治さんに頼んだこと。

それは、ブータンの辺境、シェムガン村を救うこと。

シェムガンは道路も平地もないところ。

農業は焼き畑農業を行っていた。

焼き畑にすることで灰が肥料になるが、数年で土地はやせてしまう。

このやせた土地のため、村の生活はとても貧しかった。

西岡京治さんは妻と幼い子供たちを日本に返し、ブータンのためにシェムガンに行くことに決めた。

都市だけでなく、地方を豊かにすることが、ほんとうにブータンを救うことになる。

しかし、シェムガンの村人たちは、新しいことをはじめるのに抵抗を感じていた。

それで、村人たちが困っていることを解決することに。

竹を使って、水路を確保した。

そして、17本のつり橋を作った。

さらに、学校や診療所を開設し、村人の生活を改善。

村人たちから信頼されるようになっていった。

シェムガンで2年後、稲作が実った。

その米を食べることで、農民たちの気持ちは変わっていった。

品種改良にも取り組み、自給率は86%に達した。

しかし、1992年、西岡京治さんは59歳で亡くなっってしまった。

ブータンは国葬を行い、5000人ものブータン人が参列した。

ブータン人はダショー西岡のことを忘れない。

ブータンの農業を作った人、ブータンの生活を変えた人なのだ。

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