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タシ・アフェアキさんとの出会い
9月9日ありえへん∞世界で紹介された又平直子さん。
2010年の6月に51歳で永眠。
又平直子さんがどうしてトンガの若者たちの夢をかなえたのでしょうか。
通訳の仕事をしていた又平直子さんがトンガを旅行していた時のこと。
美容室でシャンプーをしてもらっていたところで運命の出会い。
相手はタシ・アフェアキさん。
彼の猛烈なアタックの末に2年間の遠距離恋愛。
直子さんが34歳、タシさんが46歳の時に結婚、東京の練馬区で生活が始まった。
二人は南太平洋諸国への旅行をサポートする会社を設立。
しかし、南太平洋に旅行に行きたい人は少ない。
タシさんは築地の魚河岸で働いた。
毎晩、酔っぱらって帰って来るタシさん。
しかも裕福でもないのに、奢ってしまう。
みんなが喜ぶのが嬉しいのだ。
しかし、夫婦間の喧嘩が絶えなかった。
タシはとても明るく、食べさせたりするのが大好きだった。
阪神淡路大震災のボランティアに行くタシ
会社が軌道に乗りかけたころに阪神淡路大震災が起きた。
テレビの画面には今まで見たこともない悲惨な様子が映されていた。
タシはすぐに「神戸に行く」と言い出し、仕事を直子に任せて旅立ってしまった。
無責任に仕事を放棄したようにも見えた。
しかし、タシはボランティアの仕事を頑張っていた。
「ありがとう」「タシ助かったよ」の声を聞いて、直子も嬉しかった。
直子もタシの性格を尊敬できるようになった。
誰よりも日本を愛してくれたことが嬉しかった。
タシが余命2か月
タシが病に倒れてしまった。
既に末期の肺がん。
余命2か月を宣告された。
故郷のトンガに戻って治療。
直子は献身的に看病した。
タシは直子に話した。
「トンガはとても小さい国だ。この国にいてもどれだけのチャンスがあるだろうか。トンガの若者たちに日本のスポーツで活躍してほしかった」 享年50、タシは他界した。
タシの遺志を継ぐ
タシが日本を愛してくれたように、今度は私がトンガの人たちのために頑張ろう、
トンガの人が日本でスポーツマンとして活躍できるように頑張ろう。
しかし、親戚はタシが亡くなったので関係ない、日本へ帰れと言う。
でも、直子さんの気持ちは硬かった。
タシの夢を続けなければいけない。
日本の大学に電話をかけて、トンガの選手を受け入れを依頼する。
しかし、簡単には受け入れてもらえなかった。 あきらめずに電話をかけ続けた。
資金作りのために始めたB&B「ネリマロッジ」
トンガでラグビーボールなどを寄付もしていた直子さん。
寄付をするにも資金が必要だった。
そのためにB&B「ネリマロッジ」の経営を始めた。
そこで才能のある選手の世話をするなど、できる限りの力でトンガの選手を支援していた。
直子の夢が一歩前進
日本の大学でトンガの選手を引き受けてもいいと言ってもらえた。
あきらめずに電話をかけ続けた結果だ。
渡航費はこっちで負担しなければいけないが、大きな一歩だった。
しかし、トンガは大不況に見舞われる。
物価が上昇し、渡航費が足りなくなってしまった。
直子はタオパラと言われる民族衣装を編み続けた。
一日の睡眠時間が2~3時間程度。
そんな日が3か月間も続いた。
2001年4月、トンガの選手が日本大学に入学。
二人の相撲力士も相撲部屋に入った。
2009年日本大使館のオープニングパーティーでは和服姿で司会。
トンガの文化を日本に紹介してくれた。
直子さんも肺がん
夫のタシさんと同じ病、肺がんを患った。
2010年6月亡くなる。
享年51、 トンガ郊外の墓地でタシ・アフェアキさんと共に眠っている。
トンガと日本を結ぶ架け橋になってくれた人。
現在、日本のラグビー界ではおよそ70人のトンガの人たちが活躍しています。
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