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疑心暗鬼だった孤独のグルメ
11月21日のAスタジオのゲストは俳優・松重豊。
テレビ東京の深夜ドラマ「孤独のグルメ」は大人気でシリーズは4本。
おじさんがただ食べるだけの話。
この話が来た時、プロフィールの汚点になるのではと思った松重豊。
食べるときはほとんど演技していないらしい。
しかし、美味しそうに食べるんだな。
松重豊の表情の豊かさでなりたった番組と言える。
それに美味しいものは誰もが好きなのだ。
師匠と呼べるのは蜷川幸雄
大学を卒業後、松重豊は蜷川スタジオのオーディションを受けた。
大抵の劇団は団員になるのに金が必要だった。
しかし、蜷川スタジオには必要がなかったのが都合がよかった。
オーディション当日。
松重豊の前の女の子がセリフに詰まっていた。
蜷川幸雄が劇団員にプロンプを出せと指示する。
劇団員がもたついていると、蜷川幸雄の檄が飛んだ。
目の前のテーブルも飛んだ。
オーディションを受けていた女の子も松重豊もびびった。
松重豊の番になってもショックが抜けない。
セリフを忘れてしまっので、すぐ帰った。
しかし、一週間後合格の報せが来た。
でかいので合格させたらしい。
母親に感謝しなきゃ。
蜷川スタジオを3年で退団
当時の蜷川幸雄は怖かったのだ。
怖くて逃げ出したのだ。
逃げ出して、目黒のプールで泳いでいたのだ。
でも、今では関係は修復されている。
蜷川幸雄がまた芝居に誘ってくれた。
ありがたいね。
俳優・松重豊を救ってくれた勝村政信
松重豊が俳優を志すのを辞めたときがある。
建設現場で働いていたが正社員で生活は安定。
蜷川スタジオで一緒だった勝村政信がまた芝居をしようと誘ってくれた。
舞台「LYNX」がそれ。
しかし、舞台終了後また建設現場で仕事。
5メートルの高さで作業していたときに落下。
下になにか置いてあったら、死んじゃうと思った。
発電機とバールの間にはまるように落ちた。
幸い骨折だけで済んだ。
休んでいる期間に俳優に戻った。
俳優に引っ張ってくれた勝村政信には心から感謝。
バイト仲間の甲本ヒロト
中華料理の珉亭でバイトしていた松重豊。
クロマニヨンズの甲本ヒロトも一緒に働いていた。
当時珉亭では声の大きい人ばかり働いていた。
だから、バイトしているのは役者志望とバンドマンばかり。
力士になりたかった松重豊
昔から相撲が大好きな松重豊。
雑誌の投稿コーナーで元小結・豊山にハガキを書いたことがある。
松重豊14歳のとき、元小結・豊山に会えたとき相撲取りになりたいと志願。
でも、高校や大学で勉強してからでも遅くないと諭された。
力士にはならず、俳優になったが去年大相撲九州場所にゲストで呼ばれた。
子供のころからの夢がかなった。
餃子が好き
家で餃子を食べるときには、家族で餃子をまく。
餃子は完全食なので、その日は餃子以外はいらない。
野菜に肉にでん粉とバランスのいい料理なのだ。
松重豊ラブ餃子なのです。
尊敬できる先輩は大杉漣
大杉漣はまず演技が上手い、そして映画を愛して、仲間を愛している。
大杉漣は尊敬できる先輩という松重豊。
大杉漣も松重豊のことをいつも考えている。
松重豊は母親に言われたことがある。
「いいときには人は集まってくれる。
でも人間ダメなときにいてほしいのは家族と友達だ。」と。
きっと松重はそばにいてくれるだろう。
そう、大杉漣は感じている。
「あいつがあかんときにはおれがそばにいてやる」
松重豊には男気と色気とちゃめっけがある。
それが人を惹きつける。
「あいつが芝居しているのを見たら、ほんと楽しそうだ。ぼくまで楽しくなる。ほんとに良かったなと思う。」
そう言ってもらえる松重豊は素敵ですね。
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