スポンサーリンク
5月25日のTOKYOディープ!。
TOKYOディープが横浜に潜入。
何でもありの横浜・野毛。
闇市が起源で
個性的な飲食と音楽が混在する街。
そんな野毛を探検するのはゴリ。
鉄道創業の地
明治5年に日本初の鉄道
新橋―横浜間が開通。
汽笛一斉新橋をという唄で
有名な新橋―横浜間。
その横浜というのが
実は野毛(現在の桜木町駅)だった。
以来、野毛は
全国屈指の
繁華街として栄えた!
野毛小路を行く!
焼き鳥若竹は手羽が自慢の店。
普通、手羽は2本セットだけど
ここは3本セット。
開業64年の名店です。
伝説のJAZZ喫茶千草
気になる店。
モダンジャズとカフェCHIGUSA。
JAZZを聴くためのお店。
スピーカーに向かって座る。
なんか独特の雰囲気。
常連さんが多くて
一見さんにはハードルが高そう。
昭和8年開店。
創立者は吉田衛さん。
レコードは3000枚。
アメリカのジャズが聞ける店。
しかし平成6年に吉田衛さんが他界。
惜しまれながらも平成19年閉店へ。
ちぐさ会が担った復活劇
東京藝術大学の川崎義博さんの一声。
ちぐさは野毛の文化遺産。
「このまま放置してお前らそれでも人間か!?」
常連客と商店街の人が立ち上がった。
幹事は事務用品3代目小林直樹さんと
ふぐ屋の2代目藤沢智晴さん。
レコードスピーカー調度品は
野毛地区の地域振興を担う施設
「野毛Hana*Hana」にて保管されていた。
震災復興支援商店街空き店舗活用事業の適用を受け
3年前に空き店舗を見つけて復活。
野毛の歴史
横浜大空襲で焼け野原になった後
野毛には闇市が並んだ。
進駐軍の基地が近くにあった。
一斗缶に札束。
入らないので踏んづけて入れていた。
造船所の労働者がやってきた。
昭和50年代にみなとみらい計画が始まる。
そして造船所が移転。
人の流れが変わった。
ひとっこひとり来なくなった。
シャッターが閉まっている年中無休のサーカス用品店
閉まっている。
看板に書かれていた電話番号に連絡。
休みじゃないと言われた。
赤いベレー帽姿の
IKUO三橋さんが歩いてやってきた。
中に入れてくれた。
玉乗り用の玉は30万円。
テントの価格は相談の上。
サーカス芸人が職業。
若い頃はパリの国立サーカス学校で講師。
パリ在住は10年。
昭和56年に帰国し、野毛に住む。
野毛大道芸のポスター。
4月25日と26日。
これで野毛が活性。
第1回は昭和61年。
不況にあえぐ商店主たちに
三橋さんが頼まれた。
夜の野毛
写真家森直実さんが案内。
野毛の人々を写している。
ここ数年、若い人もくるようになった。
安くて美味しい。
植物がいっぱいのドア。
秘密の花園への入り口か?
店の中もちょっと変わっている。
マスターは
ジェイムス・スケベノビッチ・佐藤さん。
名前も変わっている。
熟年のバーテンダー。
ライトがチラチラ。
テーマは夜光虫。
海の中の洞窟をイメージ。
サックスは人間の不法投棄。
10円玉を通じて音がなる。
音に反応して点滅するグラス。
店はマスターの手作りからくりで一杯。
福島県出身 先代オーナーに誘われた。
自分にわがままにいろんなものを受け入れる街
建物がディープ。
看板がずらりと並んでいる。
都橋商店街。
東京五輪の時に街並みを綺麗にする為
露天商を一か所に集めるために建てられた。
メガネやさんが今はバーに。
街は常にリノベされている。
森さん行きつけの飲み屋
2階 ゆるく曲がった川が見える
日替わりママ、マスターの店。
木曜日に似顔絵バー。
ロケ隊は金曜日にお邪魔。
野毛は
何かが欠けている人が
集まる街。
スポンサーリンク