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8月8日放送のサワコの朝。
ゲストは萩本欽一。
2015年4月より大学に進学。
現在74歳。
どうして今から大学に?
10年で新築を建てたい
母親が玄関で話をしている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
その度にゴツンゴツンと鳴る音。
お金が払えないと謝っている母親。
涙が止まらなかった萩本欽一少年。
10年で新築の家を建てたい。
それが夢だった。
雑誌で映画スターの家を見た。
こんな風になりたい。
しかし映画スターに垂れ目はいない。
垂れ目の人がいるのはコメディアン。
コメディアンでも家を建てられそうだ。
コメディアンになることを決意。
坂上二郎から学んだこと
一世風靡したコント55号。
相方は坂上二郎。
当初萩本欽一は坂上二郎と組みたくなかった。
坂上二郎が苦手だった。
坂上二郎はスグレ者。
やりづらそう。
コンビを組んでそんな気持ちは消えた。
7歳年上の坂上二郎は文句を言う人ではない。
萩本欽一の好きなようにさせてくれた。
打ち合わせも萩本欽一に任せた。
坂上二郎の信用を無にしてはいけない。
それが萩本欽一の原動力になった。
コントは生もの
コント55号に台本はない。
萩本欽一が配役を決める。
あとは舞台で仕上げる。
どんな内容になるのか本人たちにも不明。
一発勝負。
同じものはない。
だから面白い。
出来立てを観てほしい。
これはなかなかできないもの。
視聴率100%男
ソロで活動しだした萩本欽一。
「欽ちゃんの週間欽曜日」
「ぴったし カン・カン」
「オールスター家族対抗歌合戦」
1982年各番組の合計視聴率が100%。
「100%男」と言われた。
自分でも頑張ったなと思った萩本欽一。
しかし、面白そうだなってものは外れた。
つまんないかな…ってものが当たる。
わからないものである。
新しい司会のスタイル
司会の仕事はしたくない。
司会の仕事は断ってほしかった萩本欽一。
でも司会の仕事しかこない。
当時アシスタントはタブーだった。
司会者が一人で仕切るのが一般的。
でも萩本欽一はアシスタントを付けた。
「次の何だっけ?」
番組の段取りを覚えるのはアシスタント。
自分は面白いことを言う。
新しい司会スタイルを確立。
司会の仕事ばかり続いた。
これも坂上二郎さんから教わったこと。
嫌だと思ったこともやってみる。
いい結果になることもある。
山を登るために降りる
大人気の中で突然の休養宣言。
萩本欽一は45歳だった。
登り切ったので帰りたくなっただけ。
登るときは一生懸命。
降りるときは一気にヘリコプターで降りたい。
いくつかの山を登るために降りて来た。
休養後に始めたのが野球。
茨城ゴールデンゴールズの監督。
2007年全日本クラブ野球権で優勝。
翌年は連覇。
2010年萩本欽一は監督を勇退。
「優勝したので辞めたくなった」
同じ山には登れない。
新しい山が欲しい。
明日会う人がいる幸せ
70歳を超えると心配なのはボケ。
あとはどんな楽しみがあるのか?
明日会う人がいる。
それはきっと幸せに違いない。
そう考えて大学を受験。
見事合格。
大学には人がうじゃうじゃいる。
新しい出会いが何かを起こす。
今は準備期間。
4年後の自分に期待する萩本欽一。
萩本欽一の子供たちは自由人
大学に合格した萩本欽一。
家族の反応はどうだったのか?
奥様は「あらららららららら…」
子供たちは「驚いたよ~」
「また、マラソンやるの?」
あんまり関心のない様子。
萩本欽一の息子は3人。
長男は弁当屋さん。
次男は予備校に通ったあとに就職。
妻は大学に入ると思っていたのに・・・。
通常だと予備校のあとは大学ですよね。
通常じゃないのが萩本欽一の息子たち。
現在は開業している。
3番目は世界を放浪中。
日本で働くのが正しいのか考え中。
一般的が正しいとは限らない。
やはり萩本欽一の子供である。
奇想天外な人生に乾杯!
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