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8月8日の炎の体育会TV。
今夜は世界陸上とのコラボSP。
織田裕二が選んだ世界陸上とっておき映像。
第1位がこれ!
ジョン・ドラモンドの悲劇
2003年に行われた世界陸上パリ大会。
100m走の2次予選。
ジョン・ドラモンドは第4コースで準備。
当時35歳。
メダルを狙う最後のチャンスだった。
スタート!
しかしフライングの判定。
この年からフライング選手は1回で失格。
審判が判定したのはジョン・ドラモンド。
俺は動いていない!
審判からフライングの判定を受けたジョン・ドラモンド。
両手を左右に動かしながら猛抗議。
「俺は動いていない!」
受け入れてもらえない。
ジョン・ドラモンドは4レーンに仰向けになった。
両手を頭の後ろに。
足は広げた状態。
「ここからどかないぞ!」
絶対自分じゃないと強く抗議。
全競技がストップした。
レースを諦められない
寝そべること5分。
ジョン・ドラモンドは立ち上がった。
現実を受け入れる気持ちができたのか?
観客や選手からは拍手が沸いた。
しかし、やはり納得がいかない。
悲しみが込み上げてくるのか。
顔をゆがめて首を振る。
そして再びトラックに戻ってきた。
国際大会から追放
トラックに戻ってきたジョン・ドラモンド。
観客をあおる仕草。
「ドラ ドラ ドラ」
観客たちが反応する。
審判たちが協議し、レースは一時中断。
30分後、レースは再開。
しかし、ジョン・ドラモンドはは失格。
サブトラックで泣き崩れていた。
今までの練習の努力が・・・。
その後、国際陸運がくだした処分。
国際大会からの追放。
ジョン・ドラモンドは引退。
ドラモンドの物語の続き
ジョン・ドラモンドのドラマには続きがある。
スタートが上手な選手だったジョン・ドラモンド。
タイソン・ゲイのコーチに就任。
タイソン・ゲイはスタートが苦手だった。
スタートを改善。
どんどんスタートが上手くなった。
弟子が果たした敵討ち
2007年大阪大会。
タイソン・ゲイは100m走、200mに出場。
ウサイン・ボルトを抜いて優勝。
4×100mリレーでも優勝。
3冠!
教え子の金メダル獲得。
ジョン・ドラモンドの無念を果たされた。
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