達人達二階堂ふみ対菅井円加のバレエでひたひたな対談!


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8月22日放送の達×達。

女優・二階堂ふみが選んだ対談相手。

バレエ界の新星、菅井円加

バレエを習っていた二階堂ふみ

菅井円加の力強いダンスに魅せられていた。

バレエダンサーのさが 足の苦しみ

中学からバレエを習っていた二階堂ふみ

久しぶりにバレエシューズを履く。

足が固定される感じがする。

ほとんど毎日履いているバレエダンサー。

菅井円加の足は変形してしまっている。

マメだらけで、誠に痛々しい。

左足首にはボルトを埋めた痕もある。

しかし、その足も一つの芸術だと言う。

これはたくさん練習した勲章なのだ。

コンプレックスよりも自分らしさが大事

現在ドイツで暮らしている菅井円加

ドイツの人は鼻が高い。

日本人としては羨ましい限り。

ドイツの人にとってはそれがコンプレックス。

日本人の鼻に憧れているらしい。

バレエをする点で日本人の体型は不利。

背は低いし、ボディラインが違う。

でも大事なのはどう表現するかってこと。

自分なりの踊りを見せようとする菅井円加

審査員吉田都の評価

2012年ローザンヌ国際コンクール。

17歳で優勝した菅井円加

クラシックバレエとコンテンポラリー。

どちらもできる稀有なダンサーと認められた。

当時審査員だった吉田都からの言葉。

「ここまで全身を使える人はいない」

菅井円加は明るい性格。

感情を外に出しやすいのではと言う。

踊りも表現方法も素晴らしかったと大絶賛。

審査員を飽きさせないダンス

2012年ローザンヌ国際コンクール。

菅井円加本人の感想はどうだったのだろうか。

ファイナルまで残った時。

夢みたいで言葉が出なかった。

もう笑うしかない。

次に心掛けたのは審査員を飽きさせないこと。

演技のバリエーションが被ることが多い。

他の人とは違う自分だけのダンス。

それを見せたい。

勝ち負けよりも自分ができることをやりきる。

自分らしく踊れた菅井円加

達成感があった。

レッスン漬けの高校時代

高校2年で世界にデビューした菅井円加

学校生活は楽しかった。

でもレッスンは毎日12時頃まで。

家に着くのは夜中の1時過ぎ。

お風呂に入りながら寝てしまうことも。

レッスンは週に6日。

放課後に遊ぶことはほとんでできない。

それでも学校は楽しかった。

学校があるからほかに表現の場ができた。

3歳から始めたバレエ

菅井円加が3歳の時。

姉のバレエの発表会を観た。

いつもと違う姉の姿にスィッチが入った。

バレリーナになりたい。

その気持ちはずっとぶれなかった。

恩師・佐々木三夏から見た菅井円加

子供の頃の自分を多動児だと言う菅井円加

とにかく動き周る子供だった。

しかし、恩師・佐々木三夏は努力家だと言う。

菅井円加は自分に厳しい。

佐々木三夏がストップをかけても本人は納得しない。

求めているレベルが高い。

日常にあるダンス

8月の舞台はショパンの「別れの曲」

菅井円加は初めて自分で振付した。

音楽から感じ取ったものを体で表現する。

この作業を楽しむ菅井円加

ドイツで喧嘩をしているカップルを見かけた。

雨の日で傘を差していた。

男性の方が先に行ってしまった。

何かを叫び出しそうな感じの女性。

その光景を見て「いいな」って感じた。

自分では感じたことがない感情がそこにあった。

これをダンスにしたい。

日常の中にダンスの要素がある。

いつも表現することを考えている。

菅井円加にとってのバレエとは

2015年2月に手術をした菅井円加

踊りたいけど踊れない日々が続いた。

この感情はいつか使える。

無駄にはなっていない。

菅井円加にとってバレエは人生の一部。

今踊れなくなったら、何もできない。

自分には何にも残らない。

それほど大切なものなのだ。

「バレエが自分の中にひたひたになっている」

二階堂ふみ菅井円加をそう表現した。

バレエでひたひた。

いい表現だ。

 

二階堂ふみ×菅井円加の対談の続きはこちら

 

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