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10月22日放送のドラフト緊急生特番!
プロ野球選手を目指す人にとっては運命の日。
2015年10月22日。
ドラフト会議が開かれた。
この日をドキドキとワクワクで待っていた選手。
熊原健人選手の物語。
神々に使える家族
宮城県角田市にある深山(しんざん)神社。
創建は1293年。
700年の歴史を持つ神社。
3人兄弟の末っ子、次男で生まれた熊原健人。
父・孝さんは18代目の神主。
神社のお手伝いを子供の頃かしていた熊原健人。
神々に仕えるのは当たり前だった。
兄の影響で野球
11歳年上の影響で野球を始めた熊原健人。
兄と一緒に野球がしたい。
ただそれだけだった。
本格的に野球を始めたのは小5の時。
野球が大好きになっていた熊原健人。
神主にならなかった兄
高校に入った兄・亨(すすむ)さん。
1か月で野球部を退部。
卒業後は好きなアパレル関係のの仕事に進んだ。
父親は兄に神主になってほしいとは言わなかった。
向いていないと思っていた。
神主の後継者になった健人
高校時代も野球を続けた熊原健人。
卒業後は神主になると決意していた。
自分以外に神主を継ぐ人がいない。
それはよくわかっていたから。
夢を諦めるはずだった。
仙台大学からの誘い
野球の夢を諦めた熊原健人。
しかし仙台大学の野球部から誘いがあった。
熊原健人は喜んだ。
自分の野球を認めてくれる所がある。
ここしかない。
気持ちは神主から野球に完全にシフトした。
野球を続けたい!
神主の跡継ぎがいなくなる。
家族にとってはそれだけの問題でもなかった。
経済的な負担も大きかった。
大学に行くにはお金がかかる。
熊原健人の思いは強かった。
「野球を続けたい」
熊原健人がはっきり両親に言ったのは初めてだった。
家族の決断
「健人がやりたいことをさせたい」
兄・亨さんからの後押しもあった。
父・孝さんは決意した。
健人の夢を応援する。
子供の笑顔に親は勝てない。
野球を続けてもいいとわかった時の熊原健人。
とても明るい顔になっていた。
決断は間違っていない。
熊原家の節約
節約することを決めた熊原家。
父親はタバコと酒を控えた。
自動車も売却。
母親は家庭菜園を始めた。
読書が唯一の趣味だった父親。
本を買うのも止めた。
野球選手になって恩返し
自分のためにやりくりしている家族。
プロ野球選手になって恩を返したい。
それが熊原健人の夢になった。
大学に進学後野球の才能は開花。
U-21にも選ばれた。
兄が神主に!
スタッフのカメラが密着中。
思いがけないことが起こった。
兄・亨さんは覚悟を決めていた。
「神社はしっかり守っていく」
父親も初めて聞いた兄の決意表明。
あとは健人がプロ野球選手になること。
熊原健人はドラフト会議の結果を待つだけ。
運命のドラフトの結果
父・孝さんから熊原健人への贈り物。
入団祈願祭。
父親も健人自身もほかの家族も思いは一つ。
そして10月22日。
ドラフト会議当日。
横浜DeNAが2巡目に指名。
安心する家族。
熊原健人が将来目指す選手像とは。
「息の長い、記憶に残る選手」
怪我せずに頑張ってほしい。
家族の思いも同じ。
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