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2015年11月27日放送のアナザースカイ。
旅人は前園真聖。
すっかりバラエティの顔。
アナザースカイの場所は韓国。
バラエティの前園真聖
前園真聖のアナザースカイ韓国。
大好きな焼肉屋から始まったロケ。
始まったのに始まった感がない。
番組のテンションもイメージと違う。
「前園真聖の言葉は嘘っぽい」
そんなこと言われたゲストがいたであろうか。
カッコいい言葉は前園真聖には似あわない?
前園真聖は昔「ゾノ」だった
前園真聖がサッカーを始めたのは小学校1年生。
兄の影響だった。
名門鹿児島実業高校へも入学。
高校で才能は開花。
1992年18歳で横浜フリューゲルスへ入団。
1996年23歳。
Jリーグベストイレブンに選出。
同じ年、アトランタ五輪キャプテンで出場。
「一番調子がいい時期」
どんなパフォーマンスしても上手く行っていた。
自信が持てた時期だった。
そして奇跡の試合。
あのブラジルに勝った。
先制ゴールを守って1対0で勝利。
この時がサッカー人生のピーク。
「ゾノ」と呼ばれた。
「それ以上に実績を残していない」
過去を振り返って前園真聖は言う。
五輪のあとは大変なサッカー人生。
消えたスペインへの移籍
96年のマイアミの奇跡。
試合には勝ったが内容では負けていた。
世界の壁を感じた。
「世界へ出ないといけない・・・」
そんな時スペインへの移籍話が浮上。
五輪での活躍を評価された前園真聖。
しかし当時の日本は海外移籍に慣れてなかった。
前園真聖のスペイン移籍は露と消えた。
ピーク後の前園真聖
スペインへの移籍話が消えた前園真聖。
気持ちは海外に向いていた。
それを引きずってしまった。
最後の代表試合は東での試合。
1998年のフランスWカップ。
前園真聖はもう代表じゃなかった。
「最高に達してない」
自分の状態のことはわかっていた。
その後は移籍が続く。
1997年 ベルディ川崎
ブラジル・サントスFC
ブラジル・ゴイアスEC
- 2000年 湘南ベルマーレ
- 2001年 東京ベルディ1969
- 2003年 韓国 安養LGチータース
- 2004年 韓国 仁川ユナイテッド
「誰かのせいにしていた」
練習して自分をアピール。
試合に出て、結果を残す。
それがサッカー選手。
それはわかったいたはずなのに・・・。
韓国での現役最後
前園真聖がプレーしたかった場所。
それはヨーロッパ。
その前に韓国に移籍。
隣国として興味はあった。
ここで終わるつもりじゃなかった。
それなのに韓国で現役終了。
仁川ユナイテッドで1年契約。
その後のオファーはなかった。
最後のチームメイトとの再会
引退してから一度も行ってなかった場所。
仁川ムナク競技場。
仁川ユナイテッドのホームグランド。
前園真聖が入団した2004年。
できたばかりのチーム。
1年間出来る限りのプレーをした。
「いい思い出も、よくない思い出もある」
心残りがあるから振り返れなかった。
11年ぶりにホームグランドを訪問。
かつてのチームメイトとも再会。
「顔が明るくなった」
選手のときはブサイク。
今は芸能人みたいだと言う元チームメイト。
ソウルのカンナムで遊んでいた前園真聖。
誰にもわからないように一人で出かけていた。
トレーナーにも会えた。
写真にサインをせがまれる前園真聖。
1年しかいなかったのに覚えてくれた。
チームのため必死にプレーしてた前園真聖。
誰もが認めてくれた。
「この選手は本当に良い選手」
チームメイトの為に頑張る姿を見てくれていた。
今はサッカーとは違う人生。
「第二の人生は奇跡みたいなもん」
そう話す前園真聖。
マイナスからのスタートだった。
第二の人生に選んだ言葉
マイナスから始めた第二の人生。
今はとても充実している。
一つ一つ目の前に来た仕事をこなしていく。
前園真聖が第二の人生に選んだ言葉。
「感謝」
サッカーボールに「感謝」と書く。
感謝の「謝」の真ん中は「身」。
スタッフに漢字を確認する。
もう「ゾノ」じゃない。
素の前園真聖。
韓国は現役時代の終焉の土地。
そして新たなスタートの地でもあった。
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