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2015年11月28日のサワコの朝。
ゲストは野村忠宏。
五輪3連覇から11年。
2015年8月引退したばかり。
弱いのに投げるのが好き
柔道一家に生まれた野村忠宏。
体が小さくて誰にも期待はされてなかった。
学校、練習、塾。
つらい毎日。
それでも柔道を辞めようとは思わなかった。
柔道が好きだから。
弱いのに背負い投げが好き。
体格が大きな選手。
実力がある選手。
そんな選手を相手を投げるのが好きだった。
野村忠宏の未来に期待したのは野村忠宏自身。
練習で力を抜いてはダメ
大学1年。
校内の大会でも勝てなかった野村忠宏。
恩師・細川伸二先生に言われた。
「その練習では無理だと恩師に言われた」
試合時間は5分。
腕はパンパン、息が上がる。
練習は6分×12回。
そんなの無理。
練習だからしないといけない。
手を抜いていた野村忠宏。
それを恩師に見抜かれていた。
初めから手を抜くなと言われた。
それから練習でも懸命に頑張った。
練習を繰り返して半年後。
全日本のチャンピオンになった野村忠宏。
金メダルでも一面は柔ちゃん
「アトランタ五輪に出られるとは思わなかった」
運よく選ばれたと話す野村忠宏。
結果として金メダル。
しかし一面は飾れなかった。
同じ日に柔ちゃんこと谷亮子が負けた。
柔ちゃんのニュースの方が大きな扱い。
金メダルだったのに・・・。
ショックだった野村忠宏。
柔ちゃんのおかげの金メダル
金メダルをとったアトランタ五輪。
一面を取れずに悔しかった。
でも、金メダルを取れたのは柔ちゃんのおかげ。
プレッシャーを柔ちゃんが受け取ってくれた。
だから、のびのびと試合ができた。
投げられても対処する力を養う
子供の頃、柔道が弱かった野村忠宏。
投げられるのが嫌いだった。
でも、本当の強さは受けの強さだと悟った。
投げられても対処する技術を磨いた。
アトランタ五輪の準決勝でその成果が表れた。
相手の左が取れない野村忠宏。
敢えて相手に有利なように組まさせた。
相手は内股で投げようとする。
空中に浮き、まさに投げられる野村忠宏。
足をすかして相手の足にかけ直した。
半分投げられているのに逆に技をかける。
これで野村忠宏は”天才”と言われた。
心の限界は来なかった
五輪3連覇後。
野村忠宏は怪我の連続。
常に引退を意識。
心の限界が先か体の限界が先か。
心の限界が来なかった。
しかし、右膝のじん帯が断裂。
体がきつくなった。
チャレンジしたい気持ちはあった。
その気持ちは6月7月くらいまであった。
体はアスリートの完成形
間接が変形。
膝の手術もできなくなった野村忠宏。
正座を5分すると立つとき痛む。
子供とのキャッチボールでも痛む。
技術はあるのに体が持たない。
磨いていた技術を使って一瞬でも輝きたい。
その気持ちで続けてきた。
最後の試合でも負けた。
会場が一つになっていた。
引退試合に負けたのに幸せな時間だった。
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