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2015年11月30日の世界ナゼそこに?日本人。
フランス南部の片田舎、人口1600人。
スペイン国境近くの石造りの村。
コーヌ・ミネルボア村。
ここに一人の日本人が住んでいる。
彼女はどうしてこの場所に来たのか?
一人で営む民宿
フランス南部のコーヌ・ミネルボア村。
そこの住んでいる日本人。
斉藤和子さん48歳。
テニスコート半分ほどの畑。
15種類の野菜を栽培。
経営する民宿の料理に使う。
接客も掃除もすべて独りで賄う。
時には盗難や無銭飲食されることもある。
それでも一人で民宿をつづけていた。
それには訳がありました。
生後40日で独りぼっち
1967年鹿児島で生まれた斉藤和子さん。
生まれる2か月前、父親が蒸発。
生まれてから40日後。
母親は父親の実家へ。
「買い物に行くから預かってほしい」
預けたまま帰ってきませんでした。
斉藤和子さんは生後40日で置き去りに。
自分の居場所を探しに行く
斉藤和子さんを育ててくれた人。
それは父親の姉、冨子さん。
本当の子供のように育ててくれた。
でも、町の誰もが和子さんの素性を知っている。
噂話のネタだった。
それがつらくて中学卒業前に上京。
3畳一間で暮らした。
喫茶店、アクセサリー販売、占いなど。
職を転々とした和子さん。
唯一の楽しみは、海外旅行。
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インドで運命の出会い
何度目かの海外旅行のインド。
そこでフランス人男性と知り合った。
20歳も年が離れたパラプレムさん。
大らかでユーモアのある性格。
遠距離恋愛を長い間経験。
2009年42歳の時プロポーズされた。
そしてフランスへと渡った斉藤和子さん。
行った先が、コーヌ・ミネルボア村。
古い一軒家を民宿としてオープンさせた。
宿泊客も来て、生活は安定してきた。
夫は心優しく、進んで村人の家の補修をした。
村人から感謝されていた。
やっと幸せが見えてきた斉藤和子さん。
しかし悲劇がやってきた。
育ての親を奪ったガン
斉藤和子さんの育ての親。
冨子さんの訃報が届いた。
胃がん。
生涯独身を貫いた冨子さん。
斉藤和子さんに愛情を注いでくれた。
偉大な存在だった。
打ちひしがれる斉藤和子さん。
その後も不幸が続いた。
最愛の人もガンに
育ての親をガンで亡くしてしまった斉藤和子さん。
夫もガンになってしまった。
前立腺がん。
つらくて泣き続けた。
でも、夫はそばでやさしく笑っていた。
病気の夫をしっかり支えていこう。
民宿、夫の世話。
夫の手術後は自宅療養。
夫も元気になって充実した日々だった。
やっと見つけた自分の居場所。
しかし、夫の体調が悪化し再入院。
夫が死ぬ前日。
「明日ね朝ご飯一緒に食べにくるから」
泣きながら夫に行った斉藤和子さん。
「なんで泣くの?なんで悲しい顔をしているの」
亡くなった後のことを心配する夫。
「俺がいなくなってもここがお前の居場所だ」
夫が遺してくれた居場所
夫の遺灰は地中海に撒いた。
夫の残してくれた民宿を守っていこう。
そう決意した矢先だった。
2014年、斉藤和子さんは子宮がんになった。
最愛の人たちを奪ったガン。
自分もガンになってしまった。
しかし、強い思いが彼女を立ち上がらせた。
民宿を続ける。
夫と築いた大事な場所。
夫を亡くした斉藤和子さんを村人は助けてくれた。
華奢な斉藤和子さんに代わって煙突掃除。
車で市場に送ってくれる人。
会えば元気かと気遣ってくれる人々。
それは夫のおかげ。
村人たちは夫に感謝していた。
だから斉藤和子さんにも優しい。
フランスの南部の片田舎。
そこが斉藤和子さんの居場所になった。
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