中居正広のミになる図書館ど根性ガエル作者の浮き沈み人生!


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[中居正広のミになる図書館] ブログ村キーワード

2016年3月29日の中居正広のミになる図書館。

ぴょこん、ぺたん、ぴったんこ・・・。

“ど根性カエル”の作者の知らなきゃ良かった~

それを伝える専門家は大月悠祐子(ゆうこ)さん。

原作者・吉沢やすみの娘さん。

「吉沢やすみは家庭を崩壊させた!」

ど根性ガエルで残ったのは家だけ!?

”ど根性ガエル”の舞台となった石神井公園。

駅前の案内板にもキャラクターが描かれている。

原作者の吉沢やすみは現在66歳。

自宅まで案内してくれた。

「唯一残ったのが家だけ」

吉沢やすみの人生には何があったのか?

20歳前半が人生のピーク!

1968年、18歳で上京した吉沢やすみ。

アシスタントを始めて1年半後。

描いた読み切りが”ど根性ガエル”。

これが異例の大人気!

20歳の時に連載開始。

連載から2年後にアニメ。

夕方に再放送になった時に波が来た。

最高視聴率34.5%。

グッズの売り上げも好調。

年収5000万、6000万が4、5年続いた。

この時の一戸建てを購入。

23歳の時に結婚。

相手は文子さん、当時22歳。

子供もできた。

人生登り調子!

手塚治虫からも褒められた!

漫画の神様、手塚治虫。

”ど根性ガエル”を称賛している。

様々なキャラクターを生んだ手塚治虫。

しかし平面ガエルだけは考えつかなかった。

「このキャラクターは大事にしてください」

だが、吉沢やすみはぴょん吉に苦しむことになる。

吉沢家家庭崩壊の危機!

人生のピークは永遠ではない。

1976年、ど根性ガエルの連載が中止。

吉沢やすみ26歳。

次の作品に期待された。

しかしど根性ガエルを超えられない。

ぴょん吉がプレッシャーになる。

漫画が描けない。

1982年、吉沢やすみは逃げた。

仕事をせずに麻雀。

これで10本以上落とした。

”落とす”とは漫画界の言葉。

原稿が締め切りに間に合わないこと。

このタブーを10本以上~。

ギャンブルで稼いだ金でその日暮らし。

3か月失踪。

金がなくなって家に電話した吉沢やすみ。

電話に出たのは妻・文子さん。

何も話せなかった吉沢やすみ。

文子さんは察知してくれた

「パパでしょ、帰ってらっしゃい」

高校生の娘の金もギャンブルに使う!

自宅に帰ってきた吉沢やすみ。

働かずにギャンブルにどっぷり漬かっていた。

婚約指輪を質屋に入れて流した。

娘の財布から勝手に金も借りた。

この時娘さんは高校生。

お札の代わりに小さな手紙。

「父より娘へ 借りる すまん 後で返す」

罪悪感はあるけど、止められない。

吉沢家復活劇!

二人の子供たちが大学進学時期。

吉沢やすみは家族の為に立ち上がる。

漫画は描けないので、ガードマンの仕事。

3年ほど働いた時、1本の電話がかかってきた。

「ドラマの主役がピョン吉のTシャツを着たい」

ドラマ「ひとつ屋根の下」

主人公のあんちゃん(江口洋介)が着てましたね。

これをきっかけにしてグッズの売り上げも伸びた。

更にいい事は続いた。

胃腸薬ソルマックのCMキャラクターにも使用される。

吉沢家の生活も安定。

キツイ時期にぴょん吉が助けてくれる。

まるで孝行息子のようだと話す吉沢やすみ。

カエルの子はカエル!

66歳になった吉沢やすみ。

ぴょん吉で人生の絶頂を経験。

挫折もぴょん吉が教えてくれた。

大変な時助けてくれたのもぴょん吉だった。

今は長男の孫の世話を楽しんでいる。

そのカエルの子はカエル。

娘の大月悠祐子さんも漫画家。

”ど根性カエルの娘”

父・吉沢やすみの半生を描いている。

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