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2017年6月25日のボクらの時代。
東貴博、古坂大魔王、土田晃之。
3人の中堅芸人。
ボキャ天世代が巨人がはびこる芸能界での生き抜き方について語った。
若い時は尖がっていた
1990年代の番組「GAHAHA王国」
番組内で行われるショートコント対決。
勝負の世界。
お笑いって明るいものではなかったらしい。
人のコントは笑わない。
特に土田晃之と古坂大魔王の目つきは悪かったと、
東貴博が証言。
昔のVTRを観て恥ずかしいと思う古坂大魔王。
まだ素人芸人だった。
今なら他の人のネタを笑うことで応援できる。
尖がっているのが当たり前の環境だった。
デスノートのLのようだった有田哲平
くりぃむしちゅーの有田哲平も酷かった。
人がコントをしている間、ずっと爪を噛んでいた。
まるでデスノートのLだったと。
「さんまのお笑い向上委員会」で合同コントをする時。
できたネタを前に肘立てして考える有田哲平。
そして、せっかくできたネタをひっくり返す。
でも、結局元に戻すってことが多かった。
これは尖がっているだけでなく、
お笑いについて向上心がある為。
常にもっといいものを考えていた。
尖がるよりも丸くなれ!
結婚とともに仕事に対する考えが変わった土田晃之。
結婚で仕事がなくなったら…。
そんなことを考えていた土田晃之。
しかし、すぐ俺が頑張ればとすぐシフト変更。
それが土田晃之のいい所。
売れることよりも長く仕事することを選んだ。
長く続けることの方が難しい。
東貴博がボキャブラの時代にバイト
東貴博の父親は東八郎。
お坊ちゃまのイメージが強い。
後輩芸人におごってあげる。
しかし、「ボキャブラ天国」時代苦しかった。
父親の遺産は既になし。
5人兄弟の次男。
家計の為にカラオケのバイトをしていた。
コンビで売れることは奇跡
コンビで売れることは奇跡だと言う土田晃之。
土田晃之も元は”U-turn”。
古坂大魔王は”底抜けAIR-LINE”。
有吉弘行は”猿岩石”。
劇団ひとりは”スープレックス”。
今はピンで頑張っている。
生のさんまは新幹線並み
お笑い界の大御所、明石家さんま。
しゃべりだけでこの業界を生き抜いている。
さんまの凄さは生で話さないとわからない。
回転が速すぎてついていけない。
土田晃之曰く”新幹線”だと。
あっという間に過ぎ去ってしまう。
こういう人に合う相棒はそうはいない。
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