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2017年7月12日のTOKIOカケル。
山下智久がやって来た。
あの可愛かった山Pも32歳。
なんと芸歴20年。
意外と苦労したジャニーズ人生なのです。
事務所に履歴書を持参
山Pこと山下智久。
ジャニーズに入所したのは1996年。
関ジャニの丸山や渋谷すばるとこの年入所。
滝沢秀明とKinki kidsに憧れていた。
ジャニーズに入りたい~と熱望。
母親に相談。
全然違う子供劇団に連れて行かれた。
ここにはタッキーはいない~。
いろんな人にジャニーズに入りたいと言っていた山P。
ジャニーズの連絡先を教えてもらった。
自ら事務所に履歴書を持参。
3か月後にオーディションの連絡が入ったのです。
魔の金曜日
ジャニーズに入所後の山P。
苦労したのは敬語。
小5の山Pは先輩たちにため語だった。
まずここで試練。
そして先輩のバックで練習リハ。
しかし本番では違う人が出ていた。
「オレ呼ばれてないんだ…」
試練は続きます。
当時、土日にレッスン。
レッスンがあるかどうかの連絡は金曜に入る。
今週は連絡が入るのだろうか。
金曜日が怖かった山P。
必ずしも呼ばれる訳ではない。
連絡が来ないともう呼ばれないのでは?
そんな恐怖がよぎっていた。
ピンチがチャンスを連れて来た
山Pのジュニア時代。
番組に呼ばれた日。
ハイテンションだった山Pは学校で骨折。
手術が必要なほど重症。
しかし今日行かないとまた呼ばれなくなる。
我慢して行った。
結果的には番組には出られなかった。
しかし振付師さんは山Pに注目。
「あいつ根性あるぞ!」
それから呼ばれる機会が増えた。
やる気があることが認められたのです。
テレビは甘くない
山Pの初めてのテレビ出演。
Kinki kidsの昼の番組。
堂本剛がYMCAを歌うバックで踊る山P。
だが、テレビには映っていなかった~。
学校の友達にテレビ出ると言っていたのに。
ショックの山Pでした。
山Pユニットを結成
山Pのジュニア時代のユニット。
”FOUR TOPS”
生田斗真、風間俊介、長谷川純と結成。
2003年には”NEWS”を結成。
”NEWS”はバレーボール応援ユニット。
当初1か月限定だった。
上手くいったので継続することに。
他のメンバーよりもかなり先輩だった山P。
メンバーから声をかけてもらえない存在だった。
亀梨和也と山下智久
2005年には”修二と彰”を結成した山P。
ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の役名ユニット。
これが大ヒット。
ミリオンセラーになった。
相棒の亀梨和也の入所は山Pの2年後。
同じ年齢なので高校に入るまで仲が良かった。
高校時代に二人はケンカ。
男目線で物事を捉えがちの山P。
舞台でウインクしたり投げキッスができなかった。
亀梨和也はバシバシやっていた。
亀梨和也と距離が離れてしまった。
それが変わったのはドラマがきっかけ。
亀梨和也のプロ意識を理解できるようになった山P。
修二と彰の6年ぶりの復活
2015年~2016年ジャニーズカウントダウン。
”修二と彰”が6年ぶりに復活。
”青春アミーゴ”を熱唱。
歌い出しても歓声が止まなかった。
実は2015年の暮れ。
山PはMVの撮影で海外にいた。
帰国は年明けの1月2日予定だった。
しかりカウントダウンに出たい~。
山Pの強い思いが受け入れられた。
急遽31日に帰国できることに。
亀梨和也と連絡を取り合った。
これで”修二と彰”が復活できたのです。
亀と山Pで再ユニット
後日、亀梨和也と山Pで食事会。
2軒目に行ったBarに偶然長瀬智也もやって来た。
亀梨和也と山Pが熱く語り合っていた。
何を語り合っているのか?
またユニットを組む計画だった。
それが2017年の”亀と山P”へと続いたのです。
山Pソロデビュー
2006年、山Pはドラマ「クロサギ」を主演。
主題歌を歌うことになった。
山Pがソロデビューすることに。
本当はソロになりたくなかった山P。
一人でするのが怖かったのです。
そして、当時の山Pは反抗期。
用意された曲はどれも嫌だった。
3~4曲の好きな所を合わせて曲を作ってもらった。
出来上がったのが、”抱いてセニョリータ”。
「生意気だった」
32歳の山Pは当時を振り返ることができます。
大人になったんですね~。
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