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2017年9月19日のセブンルール。
パン職人、塚本久美34歳。
26歳から7年間「シニフィアン シニフィエ」で修行。
2016年兵庫県丹波市、
HIYORI BROT(ヒヨリブロート)をオープン。
食材に拘ったパンは1か月半待ち。
塚本久美のセブンルールとは。
1 レシピは公開する
のどかな田園地帯の一角にある塚本久美のパン屋。
多い時には一人で300個のパンを焼く。
小麦は国産を使用。
一風変わった食材と組み合わせて作る。
みりんと酒粕、ズッキーニなど。
開店して1年。
レシピは既に100を超えた。
レシピはブログに乗せ公開している。
これは共有財産。
パンの師匠、志賀勝栄に言われた。
「レシピは楽譜」
感性も、テンポもその人にある菌も違う。
楽譜が一緒でも出来上がったものは違う。
全然違うパンが出来上がるから。
食べ歩きからパン職人へ
塚本久美は明治大学卒業後、リクルートに就職。
求人情報誌B-ingの編集を担当。
大学時代の親友がパン職人。
二人で休みの日に一緒にパン屋を巡った。
給食のコッペパンは嫌いだった塚本久美。
100軒くらい食べ歩きするに変わった。
「職人で生きていきたい」
2008年退職。
志賀勝栄の店で働き始めた。
2 新月から満月になる20日間だけパンを焼く
本場ドイツに渡り修行した塚本久美。
あるパン職人の影響を受けた。
月(の満ち欠け)によってパンの作り方自体を変化させていた。
ひと月のうち新月から月齢20までパンを焼く期間。
月齢21から次の新月までは旅に出る期間。
塚本久美のパンは同じものばかりではない。
インプットの期間がないと自分の中から新しいものが湧いてこない。
20日間びっしり働く塚本久美。
パンを焼いて深夜になることもある。
少し仮眠してまたパンを焼く。
すべてが焼きあがったのは午後2時すぎ。
焼きあがったパンは急速冷凍。
手早く密閉、梱包。
やっと終わった時には夕方4時頃。
これを一人で行う。
3 モヤモヤしたときは絵本を読む
塚本久美は築180年のシェアハウスに住んでいる。
4畳の屋根裏は家賃3万5千円。
「パンやのくまさん」
「つきのぼうや」
部屋には絵本がたくさんある。
絵本を読むと嫌な気持ちもすぐにふっきれる。
今年の3月振られた塚本久美。
今はフランスに彼氏がいる。
付きあったのは4月。
立ち上がりが早いのも特技の一つかもしれない。
4 生産者の懐に入る
月齢21日から10日間旅に出る。
塚本久美が向かった先は、
北海道十勝、前田農場。
生産者のもとで品質を確認。
そして一番何でもない仕事をさせてもらう。
収穫で使うコンバインの清掃、
ヒビ割れした地面の修復など。
彼らが大事にしているものを感じたい。
5 師匠とは違う道をいく
偶然、北海道に来ていた師匠、志賀勝栄シェフと再会。
師匠のパンは実家の味のようなもの。
そこからは抜けられない、塚本久美の原点。
さて、塚本久美の修行時代はどうだったのか?
志賀勝栄に聞いてみた。
「ただのばか」だったらしい。
「今すぐ帰れ」
「お前もういらない」
「全部荷物まとめてさっさと帰りな」
20回くらい志賀勝栄は言ったが、
1秒も出て行かなかった塚本久美。
そして今は独立。
自分の道を歩き始めた。
6 イベントで自分の人柄を知ってもらう
店舗を持たない塚本久美が北海道で販売会。
北海道の食材を使った11種類のパン。
じゃがいもと十勝コンビーフ。
なめこと醤油粕のバターソテーなど。
店舗を持つと労働時間が長くて続けられない。
でも直接お客さんとも接したい。
イベントを開いて生身の塚本久美を知ってもらいたい。
7 物々交換で人と繋がる
丹波市の”miroir blanc”。
占いをしてもらう塚本久美。
お代はパン。
飲食店でもパンを渡す。
物々交換。
お互い心を籠めたものを交換する。
お金を通さないことで心のコミュニケーションを図る。
パンは特別なものではない。
生活に溶け込んでいるもの。
塚本久美の将来の夢、
それは100歳までパン屋さんでいること。
夢があるって羨ましい。
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