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2017年10月17日のセブンルール。
主役は岩柳麻子40歳。
職業、パティシエール。
SNS映えするパフェが注目を浴びている。
「パルフェビジュー・レザン」
フランス語で宝石のパフェ。
美しいパフェは誰もを魅了する。
1 店に看板と段差を作らない
美しすぎるパフェに多くの人が集まる。
岩柳麻子の店は東京都世田谷区等々力にある。
「PATISSERIE ASAKO IWAYANAGI」
開店2時間前の朝8時から仕事は始まる。
女性だけの厨房。
1日に作るスィーツは200個。
開店1時間前、行列ができだす。
月替わりのパルフェを求める人たち。
8月限定はプラムの高級品種とチョコの組み合わせ。
お値段はドリンク付きで2500円。
これが一番人気。
午前10時に開店。
席はあっという間に埋まった。
SNSで人気の岩柳麻子の店には看板がない。
看板でアピールするのが恥ずかしいという。
ガラス張りなので外からでもケーキ屋だとはわかる。
だから看板はあえて付けない。
ケーキが主役。
床はフラット。
ケーキを落とさないようにと配慮されている。
以前シュークリームを落とした子がいた。
シュークリーム一つでも我が子同様。
我が子を落とすことは許されない。
辞めて頂いたようです。
ケーキを愛するあまり厳しい岩柳麻子。
2 夫は尻に敷く
取材2日目。
岩柳麻子の夫が店に来ていた。
宿澤巧さん。
建築家でお店の設計や内装も手掛けた。
結婚は8人前。
夫の実家はフルーツ農園を経営。
しかも高級品種を取り扱っている。
それも結婚の決め手となった。
夫を尻に敷いて動かすのが岩柳麻子の目的。
夫は一般常識が通用しないと愚痴る。
床をフラットにすることもごり押しだったようだ。
夫の目を見ずに感謝を述べる岩柳麻子。
これは照れ隠しなのか。
3 白衣の下はジャージ
岩柳麻子は染色家になりたかった。
布地を色や柄で染め上げる仕事。
しかしそれでは生活ができないことを悟った。
そんな時、祖母の言葉を思い出した。
「食べるもので幸せになるのは素晴らしいこと」
祖母の影響で菓子作りをしていた。
専門学校に行かず独学でスィーツ作りを勉強。
2005年東京都品川区に店を出した。
「patisserie de bon coeur」
全然売れなかった。
捨てられたケーキたち。
この時の悲しみが今の土台になっている。
仕事終わり。
白衣の下はジャージである。
通勤はロードバイクを使用。
ケーキ以外のことでは時間をかけない。
4 子供と一緒に宿題をする
週に一度の休みの日。
岩柳麻子は打ち合わせに忙しい。
10月にリニューアルオープンするのだ。
家に着いたのは夜10時。
7歳になる息子が出迎えてくれた。
二世帯住宅で母親がそばにいてくれる。
だから安心して働くことができる。
岩柳麻子が毎日していること。
それは息子と一緒に宿題。
息子は公文、岩柳麻子はフランス語を勉強している。
子供だけ勉強はずるいと言われ始めたこと。
5 他のケーキ屋には行かない
岩柳麻子のランチ。
なじみの中華屋さんでのラーメン。
食後に読む雑誌にケーキ店が掲載されていた。
行ったことのない店ばかり。
岩柳麻子は他のケーキ屋に行かない。
それは影響されてしまうのが怖いから。
人の真似をしたくない。
テニスをした夜。
インスピレーションを受ける。
テニスボールの黄色をイメージしたケーキ。
マンゴーとパッションフルーツを使ったティラミス。
ボールの軌道をイメージしたチョコを乗せた。
6 新メニューは即興で作る
新作パフェの撮影会。
パフェの内容は決めていない。
当日買い出しをしながら決める。
葛で作ることを決めた。
水を使わずブドウだけでジュレを作る。
10月限定パフェができた。
「パルフェビジュー・レザン」
3000円ドリンク付き。
7 引退しない
8月末、お店の内装工事が開始。
岩柳麻子の夢の店ができる。
ショーケースのないケーキ屋。
お客様のために作るカウンター。
ここで生涯ずっとケーキを作り続けたい。
岩柳麻子の原点は6年前に亡くなった祖母。
祖母と同じように生きている限りケーキを作る。
だから引退はしない。
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