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2017年11月19日のボクらの時代。
集まった3人は、
今田耕司、板尾創路、木村祐一。
3人がダウンタウン伝説を語ってくれた。
心斎橋筋2丁目劇場
吉本興業が運営していた心斎橋筋2丁目劇場。
心劇って言う人もいる。
1980年代。
若手芸人が多く出演していた劇場。
観客も若年層が多数を占めていた。
ダウンタウンは人気が高くまるでアイドルだった。
満員で客が入り切らない。
劇場は120席。
椅子を取り払いゴザを敷いた。
400人を収容した吉本興業。
板尾創路も「今なら消防法違反や!」と。
今田耕司の勘違い
客が壁みたいになった劇場。
劇場の外にも人が溢れていた。
今田耕司は劇場に入る時に女の子に抱きつかれた。
そしてキスもされた。
これが今田耕司の勘違いの始まり。
自分をロックスターと思ってしまった。
若さ故~ってこともあるんでしょうけど。
浜田雅功からフルビンタ
浜田雅功は今田耕司の高校の先輩。
風邪薬を頼まれたことがあった。
ただ風邪薬と言っても浜田雅功が欲しかったのは”キョーレオピン”。
「ちゃう~」とどつかれてフルビンタ。
浜田雅功は当時ニンニクエキスを好んで飲んでいた。
欲しいのは”風邪薬”じゃなかった。
理不尽さで有名な浜田雅功エピソード。
今田耕司の勘違い第二弾
ダウンタウンとの共演が多かった今田耕司。
3人目のダウンタウンだと勘違いしていた。
松本人志は若い頃、遅刻が多かった。
今は54歳。
起きたくなくても早起きしてしまうらしい。
松本人志を友達だと思っていた今田耕司。
松本人志が遅刻すれば自分も遅刻していいと思う。
困ったもんです。
ごっつ伝説
1991年から開始した、
”ダウンタウンのごっつええ感じ”。
「楽しかったけどめっちゃ苦しかった」と振り返る板尾創路。
「知らない人とコントできない!」
ダウンタウンの我がままで大阪芸人たちが呼ばれた。
番組としては東京の若手芸人を使いたかったはず。
そこへ今田耕司や板尾創路など偉そうな顔で参加。
いわゆる招かざる客。
コント主体で演出が変わる独特な撮影だった。
セットの中で内容を考え、アイデアが膨らんだら収録。
番組の人気企画だった”THE TEAM FIGHT”。
様々なアトラクションで対決を行った。
ある日のセットはとてもしょぼいものだった。
「なんやこれ!」
松本人志のイメージとかけ離れていた。
結局、収録なし。
次の週は龍の口から煙が出るようなセット。
松本人志は一度使ったセットは2度使わない。
番組は赤字だった。
それで予算を抑えた為しょぼくなってしまった。
今のダウンタウンなら理解してくれるかもしれない。
カンペ無視がステータス
当時のフジテレビのバラエティ番組。
派閥がいろいろあった。
他の派閥には出られないという縛り。
よその世界を知らずに育つ今田耕司や板尾創路。
木村祐一は台本に”若駒”と書かれていたことを覚えている。
今田耕司も「代わりはいくらでもいるからね」と肩を叩かれた。
バラエティのやり方も知らなかった今田耕司たち。
ダウンタウンは台本通りにやらない。
自分たちがやりたいことだけをする。
それをマネていた若手芸人。
今田耕司は「ダウンタウンウイルスにやられていた」と言う。
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