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2018年1月17日のクレイジージャーニー。
「物語にはタネがある」
執念の男、高橋大輔。
ロビンソン・クルーソーのモデルが実在したことを証明。
今度は浦島太郎の物語を紐解いた。
浦島太郎由来の地は全国150カ所
日本の昔ばなしの一つ、浦島太郎。
浦島太郎伝承の地は、全国に150ヶ所以上。
高橋大輔もビックリである。
例えば、横浜駅に近い子安駅近辺。
浦島や亀に因んだ地名も多数。
浦島町や亀住町がある。
浦島町の祭りには浦島太郎の山車が出る。
沖縄にも浦島太郎由来の話がある。
昔々のあるところってどこ?
全国に150カ所以上ある浦島太郎伝承地。
高橋大輔が最有力とにらんだ地がある。
京都府丹後半島!
浦島太郎のルーツは御伽草子。
しかし、高橋大輔の調査は、御伽草子以前の書物まで及んだ。
それは日本書紀。
その中に浦島太郎の事が書かれていた。
秋七月に丹波国の余社郡の筒川のひと。
瑞江の浦嶋子が舟に乗って釣りをしていると大亀がかかった。
たちまち亀は乙女となり浦嶋子は妻にした。
二人は海に入り蓬莱山へ行き仙人たちを訪ねた。
どこか似た雰囲気の話。
浦島太郎のモデルは丹後の国の豪族・海人族。
いわゆる船乗りだった。
浦嶋子を神様として祀った浦島神社。825年建立。
この神社には浦島伝説をビジュアル化した貴重な品があるという。
それが浦嶋明神縁起。
室町時代初期、600年前の絵巻物。
浦島神社近くの穴
浦嶋子ゆかりの場所。
それは龍穴と名付けられた場所。
蓬莱(竜宮城)へ行った浦嶋子が蓬莱から帰ってきた穴。
その他にも、ここ丹後半島には14カ所にものぼるゆかりの地がある。
昔々あるところのあるところのあるところは丹後半島だったのだ。
魏志倭人伝の中の浦嶋子
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3世紀頃に書かれた中国の歴史書。
魏志倭人伝。
日本人の風俗について書かれている。
そこに卑弥呼とともに浦嶋子の存在が。
浦島太郎の正体についての仮説
モデル 浦嶋子
昔々 弥生時代から古墳時代
ある所 京都・丹後半島
浦島太郎の亀は何亀か
古代の丹後半島にいたウミガメを調査。
それを専門家に尋ねてみた。
日本ウミガメ協議会 元会長。
亀崎直樹先生。
現在、須磨海浜水族園の研究部門責任者。
その亀崎直樹先生の判断は?
その頃にいたウミガメの種類。
アカウミガメ、タイマイ、アオウミガメ。
この3種類。
亀崎直樹先生は浦嶋明神縁起からウミガメのサイズを特定。
人の手の上腕部より長い程度。
それだと40~50㎝。
それに合致するのは、アオウミガメ。
2004年の竜宮城調査
ウミガメ協会の協力のもとウミガメにGPSをつけて調査。
荒唐無稽とも思われるこの試み。
ウミガメは日本海から太平洋を抜け中国に向かったところで追跡不可。
竜宮城は中国にある?
2004年、高橋大輔は浦嶋明神縁起のカラーコピーを手に中国へ向かう。
中国で発見したのが海に浮かぶ巨大な海上宮殿の存在。
その名は碣石宮。
秦の始皇帝が夏を過ごす別荘。
その宮殿のあった場所を散策。
なんと浦島絵巻にかかれている建物と同じような瓦を発見。
碣石宮は神仙思想のメッカ。
神仙思想とは古代中国の不老不死を願う思想。
蓬莱を理想郷としていた。
蓬莱は日本書紀で浦嶋子が行った場所とされている場所。
この事実から碣石宮は竜宮のモデルとしてふさわしいのでは?
そんな大胆な仮説を打ち立てた。
浦嶋子が碣石宮を訪れた理由
浦嶋子がいた丹後半島。
その当時には大規模な水晶工房が存在。
海人である浦嶋子は、その水晶をもって中国と交易。
そして中国からはガラスや鉄を持ち帰る。
浦嶋子は貿易商だったのだ。
玉手箱の秘密
浦島神社には室町時代から伝わる大小二つの玉手箱が現存。
その中身は化粧箱。
丹後国風土記ではタマクシゲと呼ばれる玉手箱。
タマクシゲとは化粧道具を入れる箱の意。
海人は老人の姿をした神を信仰。
玉手箱を開けて老人になったのは自分を神に見立てた化粧をしたのか?
浦島太郎の子孫に会う
その子孫とは、森茂夫さん。
古墳時代から現代まで続く家系図を拝見。
そして浦嶋子の名前も確認。
ただ、不可思議なのは浦嶋子の父の名前が浦島太郎だったこと。
理由は森茂夫さんも解らずじまい。
ただ、全ての仮説を裏付けることができたのは大きな成果だった。
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