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北海道南部の八雲町。
ここに木彫りの熊のルーツが解る資料館がある。
その名も八雲町木彫り熊資料館。
ここには木彫りの熊が300点以上展示。
さすが木彫りの熊発祥の地八雲町。
初期の木彫り熊は手に乗るサイズ
大正13年に八雲町の酪農家である伊藤政雄が制作。
何故、酪農家が木彫りの熊を作ったのか?
そこにはある人物の存在が!
木彫りの熊制作の仕掛け人
その人物とは、尾張徳川家第19代当主徳川義親。
時は大正10年。
八雲の農家は第一次世界大戦後の恐慌で疲弊。
そこで徳川義親は現状を改善する為スイスの農村を視察。
スイスでは農家が木彫りの民芸品を作って収入を得ている事を知る。
徳川義親はスイスのベルンで購入した木彫りの民芸品を持ち帰る。
農村美術運動の開始
大正13年3月に第1回農村美術品評会を開催。
そこに登場したのが木彫りの熊第1号だった訳。
徳川義親は農家に木彫り熊制作を推奨。
完成品は全て買い取った。
そのせいか昭和初期には年間5000個が作られるまでに。
木彫りの熊が制作されるようになって約100年。
八雲町では発祥の地をアピールする為に商店街のあちこちに木彫りの熊を展示している。
商標登録された木彫りの熊
昭和3年。
徳川農場に農民美術研究会が作られる。
そして農民以外にも様々な職種の人々が木彫り制作にかかわりだす。
原木の仕入れや販売ルートは徳川農場が担当。
会員は制作のみに打ち込める理想的な環境。
戦前の八雲町では木彫りの熊を熊彫として商標登録。
ブランド化への一歩を歩み出した。
二種類ある木彫りの熊
細かい毛を彫ったものが毛彫り。
毛を彫らずに面で熊を表現したものが面彫り。
面彫りには多数の呼び方があり、荒彫、一刀彫、ハツリ彫り、カット彫りとも呼ばれる。
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