プロフェッショナル竹井和之とら食堂のラーメン一杯への情熱


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[プロフェッショナル仕事の流儀] ブログ村キーワード

2018年4月9日のプロフェッショナル仕事の流儀。

ラーメン馬鹿ここにあり。

客をうならせる究極の一杯が福島に。

白河のたんぼのど真ん中。

そこに、とら食堂はある。

昔ながらの醤油ラーメン

竹井和之 63歳。

職業ラーメン店主。

竹井和之が追求する味。

毎日食べてもあきない。

絶対あきない。

ごはんを食べるみたく、みそ汁飲むみたいな味を目指す。

作り手が本当に作りたい味。

それができるには、一生という時間が。

一生かかって、できるかできないか。

プロが集う味

千葉柏の竹やぶ店主阿部孝雄。

”ここ以上のものには出会ったことがない。また来たくなるなにがある。”

一風堂創業者河原成美。

”積み重ねの味が詰まっていますね。”

仕込みを見学

ロケ初日。 

まだ外は暗い。

早朝5時、仕込みの時間。

弟子は二人の娘婿。

300人分のラーメンを仕込む。

ラーメン歴43年。

作り始めたのは返し。

スープの味を決める醤油ダレだ。

豚1頭から数キロしか取れない極上の内腿を使用。

これがチャーシューにもなる。

弾力がある良い肉。

解体してから3日以内の肉のみが持つしなやかさ。

血合いは旨みを邪魔する。

丁寧に取り除く。

地元の楢炭をおこす。

柔かな、やさしい火で豚肉を焼く。

香り、旨み、奥の深さ、コクとかすべてが抽出されると言う。

これがとらやの味の秘訣。

蒸し焼きの時間は40分。

肉汁が表面に溢れている。

鍋に入れ、醤油を加え火にかける。

肉自体も天然の調味料なのだ。

火にかけてから15分。

鍋が沸騰し、泡立ってきた。

温度が上がりきった一瞬を見極める竹井和之。

肉の旨みがもっとも引きだされている瞬間だと言う。

その後、弱火にする。

見極めを間違えるとチャーシューが固くなる。

これで返しとチャーシューができる。

味の90%を決める大事な作業。

出汁を作る

出汁は豚肉のあばらで作る豚骨。

そしてメインの味を作る鶏がらスープ。

全国から取り寄せた4種の地鶏、70羽分。

大きな鍋に入れる贅沢さ。

他のラーメン店が驚く量だ。

初めからこの量だったわけではない。

味を追求するうちにこの量に至った。

そして、ブランドの讃岐コーチンも惜しみなく使う。

味と香り付けに欠かせない。

1羽だけで2600円。

これをスープの為に使用する。

材料に手を抜けない自分を「バカなのかもしれない」と笑う。

一杯700円のラーメンの原価は高かった。

人が嫌がることをやる

大変なことは皆逃げたがる。

「人がやらないことをやっていけば、

絶対見えますよ、何か」

5時間がかりで作るスープ。

午前9時。

開店まで2時間。

この時間から女性陣が活躍する。

竹井の妻と娘たちである。

妻順子さんは「ラーメンは家族だと思う」と話す。

次女優さんは「おいしい一杯を食べて帰ってもらえば、

それでいい」と言う。

ラーメンを盛り付ける

麺は粉から練り、3日間寝かせたちぢれ麺。

チャーシューと、海苔とほうれん草をトッピング。

お客さんが笑顔になる。

「美味しい」

ほとんどの客がスープを飲み干す。

毎日食べても飽きない味。

竹井は年配の女性客に注目していた。

年配用に少し薄味にするように指示する。

そして、一声添えることも伝える。

「薄味にしているもの足りなかったら言って下さい」

心遣いを忘れない。

”輪”に入ってもらう

“輪”でいかなきゃなんない。

家内工業でしょ。

丸い輪でいかなきゃなんない。

お客さんに”輪”の中に入ってもらう。

ふわーとしたとこに包む。

午後3時。

客足が引いた時間。

家族全員でラーメンを食べる。

お昼は、毎日、ラーメン。

今日は、食べなくていいかな?という日がない。

父寅次のこと

天才と言われた父親、寅次。

昭和30年 福島市白河市に生まれたその子竹井和之。

父寅次は人呼んでフーテンの寅さんの通称。

気が向いた時にしか店を開けない。

しかし、客足は途絶えた事はなかった。

天才的なセンスで作り上げる濃厚なスープ。

絶妙な力かげんの手打ち麺。

父のラーメンを初めて食べた時血が騒いだ。

父の後を継ぎたい。

高校卒業後、弟子入り。

しかし、父親は何も教えてくれなかった。

見て覚えるしかない。

失敗の繰り返しだった。

当時のお客さんには申し訳ないと語る竹井和之。

3年後のある日。

麺を作るときの指の感触が変わっていた。

指が覚えてきた。

徐々に店を任せてもらえるようにもなった。

しかし、事件が起きた。

父親が一杯作れと言った。

出来上がったラーメンを一口食べた父親。

「こんつらもん」

こんなまずいものでよく金がもらえるな。

自信が少しできた頃だった。

その自信も木っ端みじん。

悔しさだけが残った。

逆にやる気が出た。

しかし、父親は脳梗塞で56歳で他界した。

父の死後

客足がみるみる落ちた。

常連客から目の前でまずくなったと言われた。

無心でラーメンと向きあった。

父親を超えないといけない。

当時常識だった旨み調味料の使用をやめた。

すると、コクがなくなり味が貧相になった。

試行錯誤を重ねたが味に深みが出ない。

朝5時から厨房に一人こもり、深夜11時に倒れこむように寝る毎日。

店がつぶれたと言う噂まで出た。

バカになれ

鶏がらの量も煮込む時間も父の倍にした。

しかも最初は強火。

出汁にかつてない深みが生まれた。

常連客の一人が言った。

「先代を越したな」

涙が出るほど嬉しい一言だった。

気付けば店は父の時代を超える繁盛店になっていた。

父の死から5年の歳月が経っていた。

父が何も教えてくれなかった理由がやっと解った。

ゼロから自分自身で築き上げろという励ましだった。

本当に伝えるべきこととは?

自分が体が動くうちに次世代に自分のラーメンを伝えたい。

今、考えている後継者は二人の娘婿。

未だ、二人とも竹井和之が作る麺のレベルには達していない。

技術は口では伝わらない。

やってみせるしかない。

修行を始めて3年目の森貴之さん。

その姿を見て奮起した。

今まで足りなかった何かを感じたのだ。

5日後には、いつもとは違うレベルに達し、そして、ついに和之さんを唸らせる日がやってきた。

仕事を盗まれた。

ついに後継者レベルの麺打ちができた瞬間だった。

そばの手法を取り入れた麺打ち。

今日できても明日又できるとは限らない。

毎日、毎日、同じことの繰り返し。

そして仕事の確実性を増やしていく。

それが竹井和之の考えるプロフェッショナル。

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