アナザースカイ空の帝王ユルギスと室屋義秀リトアニアで再会


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2018年7月12日のアナザースカイ。

室屋義秀45歳。

2009年レッドブル・エアレース。

唯一の日本人として初参戦。

2017年エアレース世界一のパイロットになった。

気分は紅の豚。

室谷義秀のアナザースカイはリトアニア共和国。

1km3で競うレース

日本ではあまりなじみのないスポーツ。

エアレース。

一人乗りの小型飛行機。

レース場は1㎞×1㎞×1㎞の空。

空気で膨らませた巨大なパイロンの間を飛行。

約60秒くらいのスプリントレース。

最高時速370キロ。

レッドブル・エアレースは年間8戦。

総合ポイントを競う。

2016年の第3戦の千葉大会。

室屋義秀は初優勝。

2017年は総合優勝。

操縦技術世界一のパイロットになった。

12Gの世界

エアレース。

最高時速370キロ。

最大負荷12G。

F1の倍近い数値。

体重60キロなら700キロ近くの負荷がかかる。

軽自動車1台分、体が重くなるわけだ。

血が重くなって下に降りていく。

酸素が行き渡らなくなる。

通常だと失神してしまう状態。

室屋義秀は飛ぶ時はいイキむ。

イキんで血圧を上げて酸素を回す。

そして旋回する。

リトアニア共和国の首都

2011年。

室屋義秀が初めてリトアニアに訪れた年。

首都はヴィリニュス。

旧市街は世界遺産に登録されている。

ヴィリニュス大聖堂は街のシンボル。

室屋義秀は初めて旅客機で訪れた。

2011年はドイツから飛行機を操縦してやってきた。

観光をしたこともなかった。

滑走路は芝生

室屋義秀が練習していた飛行場、

ルーディシュケス飛行場。

ヴィリニュスから車で1時間。

広大な土地に建物が二つ。

一つは大きな格納庫。

飛行機の為の倉庫である。

もう一つは三角屋根の建物。

宿泊ができるようになっている。

通常の飛行場で見られる滑走路がない。

ここの滑走路はグラスランウェイ。

草が短くなった場所が滑走路だった。

欧州には多いタイプ。

着陸する時は地図と肉眼が頼りになる。

ダンスのようなイメトレ

2011年。

室屋義秀がエアロバティックス(曲技飛行)の訓練をした場所。

エアレースは”空のフィギュア”とも言われる。

技の完成度を採点するスポーツ。

審判は10人くらい。

10点満点で減点方式で採点される。

室屋義秀がイメージトレーニングする。

どのポジションで、

どうやってマニューバ(技の組み合わせ)をするのか。

それをイメージする。

その動作はまるでパントマイム、いや狂言、

もしくはダンス。

1回転してピタッと止まる。

4分の3回転ならこの景色と確認。

イメージしておかないと、

自分の位置がわからなくなる。

お土産はネジ4000本

2011年室屋義秀が教えを仰いだ人物。

曲技飛行のレジェンド、ユルギス・カイリス。

1952年生まれ。

現在66歳。

まだ現役。

”空の帝王”である。

室屋義秀はお土産を用意していた。

とても重たいお土産。

しかし箱は小さい。

正体は、

飛行機用の4ミリサイズのネジ4000本。

日本製のネジはクォリティがいい。

お土産にピッタリ。

帝王がパイロットの原点

1995年但馬空港でのワールドグランプリ。

室屋義秀はユルギスのフライトに衝撃を受けた。

それから本格的に曲技飛行を始めた。

室屋義秀がパイロットに興味を持ったのは更に昔。

ガンダムを観たこと。

そして、1993年20歳で渡米。

パイロット免許を取得。

ユルギスの飛行を見た時は22歳。

やるべきことがはっきりした。

最高級の技術を取得する。

3000万円の借金

室屋義秀はアルバイトで費用をためては渡米。

だって、日本では飛行訓練ができる環境はなかった。

11カ月のバイトで300~400万円を貯め、

1か月位トレーニング。

20代後半になった室屋義秀。

将来を考える時期。

しかし、諦める気はなかった。

30歳になる年。

室屋義秀は中古の飛行機を購入。

借金は3000万円。

もう引き返せない。

室屋義秀は大会に参加できるようになった。

2007年スポンサーがつく。

2009年レッドブル・エアレースに参戦。

結果は15機中14位。

まだまだトップは遠い。

地元が後押し

トップの背中が見えだした2011年。

大きな出来事が起きた。

3月11日の東日本大震災。

拠点にしていたふくしまスカイパークも被災。

飛行場に大きな亀裂が入った。

大会で出ている場合じゃないと思った室屋義秀。

大会出場をキャンセル。

しかし、地元から後押しがあった。

「こんな時だから行ってこい」

再度調整して参加することにした。

希望の光になりたい

室屋義秀は大会に勝つ為にリトアニアに来た。

そして、ユルギスにコーチを頼んだ。

今までも何度か一緒に飛行したことはある。

ユルギスから指導を受けた事はなかった。

「勝利への興味や課題が見えていない人に教えることはできない」

それがユルギスの考えだった。

しかし、この時室谷義秀の目的ははっきりしていた。

勝つ。

技術だけでなくパイロットの王者になる為の姿勢も学んだ。

だから、リトアニアが室谷義秀の原点。

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