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2018年11月30日のアナザースカイ。
今回は中山秀征。
アナザースカイはフランスのパリ。
ワインが好き。
ルイ・ヴィトンが好きな中山秀征。
そして、今回の目的はもう一つ。
会いたい人がいるのです。
ヴィトンの本店でショッピング
パリのシャンゼリゼ通り歩く中山秀征。
この日の時計もベルトもルイ・ヴィトン。
中山秀征はルイ・ヴィトンが大好き。
本店を見て、
「かっこいいね、やっぱり」
本店に入ってから約1時間後。
買い物袋を持って帰ってきた。
買ったのは、黒のエナメルの靴。
またコレクションが増えましたね。
行きたかった店
パリの7区。
中山秀征が行きたかった店がある。
住宅街の向こうにあった。
”あい田”。
2008年和食で初めてミシュランに掲載された。
ここに中山秀征の知り合いがいる。
オーナーシェフの相田康次さん。
少し白髪が混じった姿がカッコイイ。
実は元モデルでタレント。
中山秀征の元舎弟
”あい田”のオーナーシェフの相田康次。
中山秀征の第一舎弟だった。
中山秀征は六本木に行く前に、
相田康次のところでご飯を食べていた。
「目玉焼きはよく焼け!」
中山秀征の好みに合わせて料理をしていた相田康次。
本当は、目玉焼きはよく焼きたくなかったらしい。
オマール海老とウニの鉄板焼き
和食の”あい田”。
カウンターで鉄板焼きスタイル。
中山秀征の為にブルターニュ地方のオマール海老を用意。
鉄板で焼くと青い殻が赤く変わる。
肝と内子を合わせる。
11月に解禁になったウニも焼く。
これもオマール海老と一緒に混ぜる。
「美味い!」
ウニのレア感を褒める中山秀征。
人生で最高の一品になったのには訳があった。
タレントから料理の道へ
相田康次がまだ芸能界でいた時。
ある日、中山秀征へ電話をした。
それはタレントを辞めることを告げるためだった。
中山秀征は「これからじゃないか」と止めた。
辞めなければチャンスが来ると思っていた。
だから相田康次にも辞めてほしくなかった。
しかし、意思は強かった。
料理をしたい。
そしてパリへと行った相田康次。
それから20年以上音信不通になった。
すべては芸能人になるためだった
もともと野球少年だった中山秀征。
それはプロ野球選手になりたいからではなかった。
将来、芸能人の野球大会に出場するためだった。
出場した時に恥をかきたくなかった。
書道を始めたのも芸能人になってサインをする為だった。
中山秀征のデビューは17歳。
ABブラザーズ、コンビでのデビューだった。
3年間は良かった。
しかし20歳。
ダウンタウンや、ウッチャンナンチャンに勝てない。
もう古いとマネージャーに言われた。
コンビではダメだが、個人としては伸びしろがある。
それからは遮二無二頑張った。
映っても映ってなくても頑張る。
それが中山秀征のスタイルになった。
おかげでレギュラー番組は最大で14本となった。
人生観を変えた出来事
2008年に中山秀征に驚くべきことが起きた。
ミシュランに和食で最初に掲載された店。
オーナーシェフは相田。
ニュースで知って、驚いた。
「目玉焼きの焼き方教えたの俺だぞ⁉」
すぐに電話した。
相田康次としては途中で辞めてしまった身。
合わす顔がないと思っていた。
それなのに中山秀征から電話をもらった。
嬉しい出来事だった。
そして、中山秀征は人生観を変えた。
今までは一つの道を目指すのが一番だと思っていた。
「岐路は何回あってもどこの世界でもある」
それを体験したのだ。
和牛にはないフランス産の牛肉の味
「赤身の美味しい肉を食べさせたい」
中山秀征に用意したのはノルマンディー地方の牛肉。
部位はハラミ。
中山秀征の為にいつもよりよく焼いている。
まるで刺身を切るように切る。
焼いたニンニクのスライスをトッピングした。
和牛の柔らかさとは違う。
しっかり噛んだ後に味が沁み出てくる。
旧友に送る”和”
中山秀征から相田康次へのお返し。
書道の道具を持参していた。
店のカウンターで一筆。
”和”の一文字。
さすが秀ちゃん、キレイな字だね。
判を押し、額に入れてプレゼントした。
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