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2018年12月10日の劇レアさんを連れて来た。。
東京。
新宿ゴールデン街にあるBar”ひしょう”。
そこのママがミチコさん。
御年、84歳。
怖いもの知らずの性格。
ミチコさんの波瀾万丈な人生とは?
1956年~仁義なき戦い
北海道根室出身のミチコさん。
離婚して20歳で上京。
女性が単身で行きづらい時代。
それでも手に職をつけたかった。
ミチコさんが目をつけたのが、おでんの屋台。
おばあさんが一人でやっていた。
三日間何度もお願いしてやっと承諾してもらった。
「あの人に話を通しに行くよ」
連れていかれたのは、怖い人系の事務所。
屋台を借りる為にショバ代等を請求された。
それも承知の上で、おでんお屋台を始めた。
若い娘のおでん屋さんは大人気。
夜6時から9時で完売。
組長もミチコさんファンだった。
ある日、呼びだされ「俺の女になれ!」
しかし、きっぱりと断ったミチコさん。
翌日。
屋台の準備ができた頃若い衆が来た。
屋台をひっくり返す。
これが1週間ほど続いた。
その後、組長が根負け。
もっといい場所に移動させてくれた。
1959年~学生運動!
おでん屋台を始めて1年後。
お客に来ていた映画関係から、
「カタギにならない?」と誘われた。
映画の編集に転職。
共同作業が合わなかった。
カメラマンに転向。
当時は学生運動の真っ最中。
5万人集会の撮影をした。
バリケードの中に入ったりもした。
学生たちと間違われたミチコさん。
こん棒でボッコボコにされたこともあった。
そして、スゴイ光景を見た。
長い髪の女学生が髪を引きずられていた。
ミチコさんはすぐ自分の髪を切った。
催涙弾を浴びる経験もした。
そんな学生運動も終了。
1968年~新宿ゴールデン街へ
学生運動が終了。
ミチコさんは新たな刺激を求めた。
行先は新宿ゴールデン街。
当時は違法な店が多かった。
警察の手入れもミチコさんの刺激だった。
Bar”むささび”をオープン。
石橋蓮司、篠山紀信などが通った。
2階にあった”むささび”。
乱闘騒ぎでお客が1階のゲイバーに落ちる。
「こらっ」
ミチコさんが怒るとお客たちは戻ってきた。
ミチコさんには従順なお客たち。
1972年高級クラブ「ゴールデンゲート」をオープン。
1980年~ブラジルで銃撃戦
ある日。
ブラジルが舞台の映画「黒いオルフェ」を観たミチコさん。
ブラジルのマナウスへ出発。
ブラジルで”MARUMI”をオープン。
オシャレ女子が集まる店になった。
女子を求めて男子もやってきて大人気。
おかげで他の店はひまになった。
多くの店を管理していたギャングたちはキレた。
ギャングたちからの嫌がらせが始まった。
虫が入ったとかでイチャモンを付ける。
恋人ジョアレースが用心棒になってくれるとことになった。
絵描きでテレビ出演も多かったジョアレース。
しかし、気は短かった。
ギャングと殴り合いの乱闘。
こんなことが何度も起きた。
怒ったギャングがある日威嚇射撃。
度重なる嫌がらせ。
店の周りをうろつく車に激怒したジョアレース。
店中の護身用の銃と弾を集めさせた。
店員を逃がして、バリケードを作ったミチコさん。
学生運動での体験が生かされた。
ギャングVSジョアレースの銃撃戦が開始された。
初めはジョアレースに撃たないように努めた。
しかし、ギャングから攻撃される。
自分も銃撃戦に参加。
威嚇射撃なので人には向けない。
実は射撃クラブに通ってプロ級の腕前。
銃撃戦が無事終了。
翌日、ギャングが来店。
「昨日はどうも~」
飲みに来たかったらしい。
ブラジル人はとってもおおらか。
もう店を閉じることを決意。
帰国した。
伝説のママへ
帰国後は伊豆にいたミチコさん。
79歳で再び新宿ゴールデン街へ。
”ひしょう”のママになった。
”ひしょう”は昔のゴールデン街の面影がある。
人が集まる店だった。
ミチコさんにとって3年以上続いた初めての店。
昔のドキドキ感やアットホームな安らげる空間。
仲間が集える場所。
ミチコさんが心掛けたのは昔のゴールデン街の復活。
若い人もはいりやすいそうです。
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