スポンサーリンク
2018年12月15日のサワコの朝。
番組冒頭は”春よ、来い”。
ピアノ演奏は清塚信也。
ドラマ”コウノドリ”の音楽を担当。
クラシックからジャズ、ポップスも演奏する清塚信也。
ピアニストになったのは、
母親の指導の賜物。
しかし、実は母親は子育てを反省していた⁈
母親の英才教育で音楽への道
清塚信也がピアノを始めたのは5歳。
クラシック音楽好きな母親。
でも音楽の道に進めなかった。
自分の夢を子供たちに託した。
姉はヴァイオリニスト。
清塚信也はピアニストになった。
人生の後半で笑え!
母親の英才教育は度を越していた。
まだ清塚信也が小学校低学年のとき。
二つ上の姉と二人で笑っていた。
すると、母親に叱られた。
「今笑うな。人生の後半で笑え!」
笑う時間があれば、練習しろってことだ。
清塚信也が練習をしていたのは、恐怖心からだった。
母親からは、
「音楽家でなければ生きていなくていい」
とも言われた。
学校に行く前に朝練のために起こされていた。
「人はいつかずっと寝る時が来る」
子供にこの言葉はきつすぎるな。
姉との同盟
母親の指導は厳しすぎた。
清塚信也と姉には気晴らしが必要だった。
二人は同盟を組むことにした。
母親が買い物に出て留守になる時。
どちらか一方がゲームなどで遊ぶ。
勿論、お互いに言いつけたりしない。
姉の名前は美耶。
ドレミの”ミ”が付く。
清塚信也には”シ”が付いている。
だから、例えば姉が練習をさぼっている時。
母親の帰宅がわかったら、
姉に聞こえるように「ミドミド」と演奏。
「来たよ~」って叫んだら母親にわかってしまうからだ。
子供は頭を使うことを覚えるものだ。
槇原敬之の”どんなときも”
記憶の中で今もきらめく曲。
清塚信也が選んだのは、槇原敬之の”どんなときも”。
この曲には思い出がある。
スパルタで清塚信也に練習を強いる母親。
唯一の抵抗は、練習で好きな曲を弾くこと。
バッハの譜面を開きながら、
バッハをポップスにアレンジ。
音感がない母は気づかない。
「よし!」と自信をつけた清塚信也。
ドラゴンクエストとかゲーム音楽を演奏。
これも母親はわからない。
だんだん、スリルを感じ出した清塚信也。
どこまでいけるのか試してみた。
ゲームのマリオの曲を耳コピ。
演奏してみたが、これもセーフ。
いろいろ弾いて、「どんなときも」を弾いてみた。
サビに入る手前の音でばれた。
さすがの母親も知っていたんですね。
子育てを反省する母親
清塚信也には娘が二人いる。
娘たちはピアノを習っているらしい。
しかし、清塚信也自身は関与していない。
母親のように指導はできない。
可愛い子どもたちに、笑うな!とは言えない。
さて、清塚信也のその様子を母親はどう思っているのか?
「子供はのびのびと遊んで育てなさい」
これが母親の言葉だ。
耳を疑う。
誰の母親の言葉だというのだ。
すっかり、孫たちに優しいおばあちゃんになっていた。
清塚信也は姉と二人で問い詰めてみた。
母親は「お前たちには失敗した」
やりすぎた英才教育は子供を萎縮させる。
それにやっと気づいたようだ。
でも、ちゃんと子供たちは音楽家になったから良かった。
清塚信也も愛だったんだろうなと今はわかると言う。
そんなに子育ては間違ってなかったんじゃね?
スポンサーリンク