激レアさんレ・ロマネスクのイシトビさんの不幸メーター物語


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2019年1月7日の激レアさんを連れてきた。。

今回の激レアさんはイシトビさん。

ピンクの帽子にピンクのスーツ。

ネクタイもピンク。

髪の毛もピンク色。

そして、チョビ髭。

怪しい雰囲気を醸し出している。

さて、イシトビさんはどんな激レアなのか?

フランスで有名な日本人

イシトビさんはフランスではかなり有名人。

ㇾ・ロマネスクのボーカル。

ㇾ・ロマネスクは貴族のTOBIとメイドのMIYAとのコンビ。

フランスを皮肉った歌を披露。

パリコレにも出演したことがある。

しかし、やりたくて有名になったわけではない。

実はイシトビさんは究極のYESマン。

YESを言い続けて不幸が続いた。

しかし、その後に大逆転の人生が待っていた。

不幸の始まり

イシトビさんは子供の頃は貧乏だった。

乾物屋をしていた両親。

あられも売っていた。

売れ残ったあられを水でふやかしたもの。

それが主食だった。

当たり前だと思っていた生活。

しかし貧乏だった。

安定した生活を夢見たイシトビさん。

公務員になろうと思った。

慶応義塾大学経済学部を入学。

真面目に勉強そしてアルバイトをしていた。

アルバイト先はイベント運営の会社。

会社の社長に就職するように言われて、

泣く泣くイベント会社に就職。

これが不幸への扉になった。

懸命に働いて初任給がもらえると思っていた。

しかし振り込まれていない。

社長に3カ月後に降りこまれると言われる。

ここでおかしいと思わないんだ。

3カ月また働いた。

そして、ある日。

会社の中はもぬけの殻。

夜逃げしていた。

イシトビさんの他の社員も何も知らなかった。

家に戻ったイシトビさん。

アパートの大家さんが待っていた。

「アパート売って墓地にするから出て行って!」

アパートの隣が墓地。

墓地を拡大するためアパートがなくなる。

「ああ、そうですか」

その後20時間寝込んだイシトビさん。

悪い夢を見たと思ってまた会社に行ったが、

やはり会社はなかった。

現実だったのだ。

不幸モンスター

イシトビさんの不幸は続いた。

就職する会社が次々と不幸に見舞われた。

化粧品のワゴン販売→会社が倒産。

葬儀専門の花屋→店が閉店。

バーテンダー→再開発でBar閉店。

古本屋→買収され閉店。

オンシアター自由劇場の劇団員→一週間後に解散。

合計10以上の店が潰れた。

イシトビさんは不幸モンスターだった。

弾き語り爆笑ライブへの誘い

イシトビさんの不幸メーターは50。

友人イワツキくんが飲み会を設定してくれた。

そして、”弾き語り爆笑ライブ”への誘い。

イワツキくんのライブに出演してほしいと言うのだ。

イシトビさんは断れない。

高円寺の居酒屋でのライブ。

イシトビさんが着替えをしている間を埋める役。

イシトビさんは歌と笑いが融合した曲を作ること。

曲を作ってくれたのは、一流商社マンのオノハラくん。

中1の時に作った曲。

それに歌詞をつけた。

これが”愛の無人島”。

金髪貴族衣装で恥ずかしさを克服。

貴族のロマネスク石飛の誕生である。

イシトビさんの初舞台は大成功。

お客は80人位だったけど、ウケた!

イワツキさんのはいつも通りの苦笑。

ロマネスクにオファー

ライブでウケたイシトビさん。

その後、結婚式やイベントへのオファーが殺到。

今度はワンマンライブをやってと言われた。

1曲しかないので、新曲も作った。

でも、イシトビさんは乗り気じゃなかった。

真っ当な行き方をしたいのだ。

このままでは就活もできない。

「もう、誰も知らないところへ行こう」

フランスでも不幸は続く

イシトビさんは人生をリセットする為渡仏。

しかし、不幸は続いた。

高校時代のジャージで歩いていると、

フランス人ヤンキーに絡まれた。

地下鉄で胸ぐらをつかまれカツアゲ。

カツアゲだと気づかなかったイシトビさん。

ジャージに書かれた名前の意味を聞かれいると思った。

フライングストーンだと説明。

シャトレ駅で下車。

フライングストーンと言いながら逃げた。

3日後。

銀行ではフランス語で叫び散らす男に絡まれた。

まだフランス語がわからなかったイシトビさん。

本を見ながら、フランス語が話せないことを伝えた。

何か冷たいものが腹部に当たっていた。

しかし、本があったのでそれが拳銃だとは気づいていなかった。

男は銀行強盗で、イシトビさんは人質になっていた。

警備員が助けにきてセーフ。 

ショッピングモールでは銃撃戦事件にあった。

イシトビさんが買い物をしていると店がシャッターを閉め始めた。

外に出るとバズーカーを構えている人がモールを包囲。

なんとか家に帰るとギャングの抗争だと気づいた。

200人対200人。

カツアゲチームと銀行強盗チームだった。

アパートでも不幸モンスター

イシトビさんが住んでいたのは、

家賃65000円の1DKアパート。

築400年。

まつげが凍るほどの極寒。

シャワールームから他の部屋の汚水が湧き出る。

古い建物は配管が細い。

イシトビさんが住んでいたのは8階建ての4階。

目が冷めると汚水で床上浸水。

パンのカスや珈琲豆が流れている。

イシトビさんステージに立つ

イシトビさんの奇跡の大逆転はこれから。

当時、イシトビさんは三行広告を打ち込むバイトをしていた。

フランスのニュースを日本語に訳して打ち込むのだ。

ある日変わった広告があった。

「急募 ステージで歌を歌ってくれる人」

しかし、クレームになった。

誰も応募して来ない。

「じゃ、あなた歌って」と言われたイシトビさん。

断れない。

このバイト集金までがお仕事。

歌わないと集金できない。

これが運命を変えた。

何事も全力で取り組むイシトビさん。

オノハラくんの歌をフランス語に訳した。

フランスで知り合った心理学専攻のMIYAさんを誘った。

ㇾ・ロマネスクの誕生である。

開場はショーのあとの寿司が目的の客ばかり。

イシトビさんの衣装のスパンコールが床に散乱。

次の出演者に掃除するように言われた。

仕方なく貴族衣装のままで掃除。

かなり惨めな状態の為不幸メーターは最大になった。

ここから大逆転。

スタンディングオベーション!

フランス人は民衆が貴族を風刺するのが好き。

貴族文化を皮肉るパフォーマーだと思った。

ライブイベントへのオファーが来た。

スタンダップショーの聖地で4カ月連続出演。

スーザンボイル発掘のフランス版番組に出演。

貴族衣装で歌ったがブーイング。

一つ前の出演が天才的な象使いの少年だった。

落差のためのブーイングだった。

しかし、放送終了後は大人気。

フランスで最も有名な日本人パフォーマーの一人になった。

世界12か国50都市以上で講演。

フジロックにも出演。

今は日本を拠点に活動中である。

不幸なこともたくさんあったイシトビさん。

でもいつも一生懸命だった。

だから幸せもやってきたのかもしれない。
 

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