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2019年3月13日のクレイジージャーニー。
ついに出演、田中幹也(タナカカンヤ)!
雪山登山家である。
田中幹也が山に登る理由がとってもクレイジー。
高い山に登りたいとか、
誰も登っていない山だから登りたいのではない。
業界が一目置く田中幹也が求めるものとは?
生と死の極限を楽しむ
「”死ぬのかもしれない”とか、
そういうのがない登山ってあんまりやり甲斐がない」
訥々と話す内容がかなりクレイジーな田中幹也。
天候は一番荒れそうな時を選んで登る。
厳しい自然環境で生と死の極限に挑むそうだ。
例えば、冬の富士山。
強風で斜面がスケートリンクのようになる。
滑ればあとは落ちるだけ。
それほど厳しい環境でなければ納得できないと言う。
植村直己冒険賞を受賞
「簡単に登れちゃったらつまんない」
死と隣り合わせ。
パニックの直前がテンションが上がる田中幹也。
カナダではマイナス50℃を体験。
地球半周分=22,000キロを踏破したこともある。
2013年には植村直己冒険賞を受賞した。
八甲田山に同行
2月某日、青森。
マイナス14℃。
大雪、低温、雪崩、雷の注意報が出た日。
田中幹也にとっては最高のコンディション。
これから八甲田山の最高峰、大岳を目指す。
標高1585m。
積雪は5mを超えると言われる。
明治35年、雪中行軍遭難事故の現場である。
当時、陸軍の軍事訓練中、
210名のうち199名が死亡した。
これに雪山素人のディレクターが同行。
ついていけるのか心配である。
バスで八甲田山の麓に到着。
この辺りでもかなりの積雪。
カメラは中島ケンロウ。
イッテQでイモトアヤコに同行したことでも有名。
心強い。
ワカンとラッセル
冬の八甲田山には登山道はない。
車道をしばし歩いた後。
雪壁の低くなった辺りで急に登りだす田中幹也。
雪を削って進む。
そして、靴になにやら装備を付けた。
これが雪山登山用グッズ、ワカン。
かんじきの進化型。
これを着けると雪に埋まりづらくなる。
そして、ラッセル。
雪を描き分けて前に進むのだ。
効率は悪いし、かなり体力を奪われる。
足を上げるだけでも一苦労。
この状態をずっと続けるのだ。
1時間で100m
数10mを進むと、傾斜がきつくなった。
田中幹也はザックを置いた。
荷物は重たいので邪魔になる。
空身でラッセルして進む。
ある程度進むと、ザックを取りに引き返してまた登る。
一人で黙々と行う。
さらに、スコップを組み立て、雪を掻きだす。
まだ道路が見える位置。
1時間で100mしか進んでいない。
雪の量は多くなった。
田中幹也の身長ほどある。
雪に亀裂を発見。
雪崩になる可能性がある。
さすがに、避けて通る。
「大丈夫ですか?」「大丈夫ですよ」
こんなこと位では動じない。
同行Dは田中幹也が作った道を登るだけ。
意外と楽だった。
夕飯はチョコとクッキー
田中幹也は勘で進む。
高い方へ向かえばいつかは山頂に着く。
結構大雑把である。
求めるのは登頂ではなく、過程なのだ。
午後5時、登山を開始してから3時間。
進んだ距離はわずか300m。
暗くなる前に早めにテントを張る。
田中の食事はチョコレートと100均のクッキー。
料理をすることでエネルギーを使いたくないのだ。
隣のDのテントでは、
中島カメラマンがレトルトカレーを作ってくれていた。
D遅れる
翌日。
テントを置いたまま山頂を目指す。
やはり、ラッセル。
しかし、昨日よりは歩きやすい。
太陽も出てきた。
すいすいと上る田中幹也。
つまらなそうである。
普通の雪山登山になると、素人Dは付いて行けない。
田中幹也たちからかなり離れてしまった。
待たせてしまうことになった。
八甲田山にエビの尻尾
斜面が急になった。
雲が増え、嫌な雰囲気。
風も出てきた。
ホワイトアウト。
「八甲田山らしくなってきた」と喜ぶ田中幹也。
やはり、クレイジー。
崖になっているところもあると言うが、前が良く見えない。
田中幹也がエビの尻尾だと言う。
木や岩に着いた雪が風で吹かれて奇妙な形になっている。
さらに景色が変わった。
樹氷なのだが、さっきのエビの尻尾の巨大版。
それがあちらにも、こちらにもある。
幻想的な風景とも言えるが、まるで賽の河原。
妖怪のようにも見える。
樹氷エリアを抜けると山頂が近い。
また吹雪始めた。
全てが白くなる。
何にも見えない。
これ以上行くと帰りが心配。
今回は同行者がいるので、下山することを決意した田中幹也。
登山は一人がいい
下山後の田中幹也。
行けるとこまで行けたので楽しめたらしい。
せっかく来たから一人で再び山に入ると言う。
登山は一人の方がいいと言うのだ。
やはり、かなりご迷惑だったみたいです。
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