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2019年6月12日の衝撃のあの人に会ってみた!。
ユーミンこと松任谷由実。
1984にリリースされたユーミンの名曲、”ノーサイド”。
モデルは1984年の全国高校ラグビー決勝戦”と言われている。
運命のキック
試合終了間際。
天理対大分舞鶴は18-12。
大分舞鶴はトライを決め、18-16。
キックする権利を得た。
キックが決まれば同点。
両校が優勝となる。
キック担当は主将の福浦孝二(3年)。
しかし、ボールは…。
蹴る瞬間、軸足がすべった。
ボールはゴールをそれた。
優勝は天理。
ゴール後、ノーサイド。
大分舞鶴高校へ行ってみた
大分舞鶴高校。
当時の写真が飾られている。
ラグビー部は全国高校ラグビーで優勝1回、準優勝3回。
現在53歳。福浦孝二は高校教師になっていた。
35年前の映像を見てもらった。
キックする時にプレッシャーがあった。
キックを外して負けた事に負い目を感じたことも。
決して触れてほしくない過去だったと思う時期もあった。
当時、決勝には出ないつもりだった。
それは大学受験と試合が重なっていたから。
試合には出ないで受験を取る事をチームメイトに伝えた。
それでもチームメイトは福浦の受験を応援してくれた。
事情を知った大学の特別措置で早朝にただ一人試験を受けることができた。
7時前から試験を受けて11時前にに大阪に飛行機で帰ってきた。
それで試合に出る事ができた。
ノーサイドのユーミンの詩に共感する
「同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンをかけてゆく」
決勝と同じ年に発表された”ノーサイド”。
やり直しはできないが、次に向かって行くという歌詞の内容。
「何をゴールに決め手 何を犠牲にしたの」
歌詞に共感できたし、やっぱり嬉しかった。
キックを外した自分にかけてくれた仲間の言葉に救われた。
「ゴールを外しても仕方ない」
チームメイトの井上博文さんが言う。
キックを外した事に関してチームメイトは恨んでいない。
福浦さんはそれまで100%近くキックは入っていた。
強いチームではなかったので決勝まで行けた事を誇りに思っていた。
弱小チームを引っ張ってくれたことに感謝していた。
あの試合で感動した女性がいた
それが井上博文さんの妻。
出会った時に試合の話で盛り上がった。
それが結婚のきっかけ。
そして今年、結婚30周年を迎えた。
ノーサイド制作の衝撃の事実
ユーミンのレコード会社、ユニバーサルミュージック。
ユーミン担当の上野ひとみさん。
実はノーサイドのモデルは天理対大分舞鶴の試合ではなかった。
あの決勝戦以前に歌詞は出来ていた。
そして奇跡的に、試合内容と歌詞がリンクしたという。
この奇跡が”ノーサイド”を多くの人に知ってもらう要因の一つになった。
ユーミンの証言
ヘッドホンでラテンのバラードを聞きながら映像だけのラグビーを観ていた。
その時、バラードとスポーツの試合は合うと直観した。
30年ぶりのノーサイド
ユーミンの曲の力もあって、天理対大分舞鶴の試合は語り継がれた。
2014年、近鉄花園ラグビー場。
当時のメンバーと再試合が行われた。
30年前に決められなかったゴールキックを福浦さんは決めた。
見事に決めると相手チームと握手。
30年の時を経て笑顔でノーサイドを迎えた。
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