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2019年7月9日のセブンルール。
奈良に行ったら、かき氷を食べよう!
奈良県奈良市。
氷室神社の周辺には40店舗ほどのかき氷屋がある。
その一つ、”ほうせき箱”。
店主は岡田桂子47歳。
かき氷文化を広める岡田桂子のセブンルールとは?
1 開店前に整理券を配布する
かき氷屋”ほうせき箱”。
シロップを作る岡田桂子。
”ほうせき箱”のシロップは手作り。
主に奈良県産の果物を使用する。
スイカは一粒ずつ種を除く。
地道な作業である。
朝9:30。
開店30分前に既に行列が出来ていた。
開店前にドアが開く。
お客さんには好きな時間の整理券を取って頂く。
用事を足してから再度来店してもらう。
お客に良し、街に良しのアイデア。
2 かき氷の器はスープカップ
カウンターの中心で氷を削り続ける岡田桂子。
”ほうせき箱”のかき氷は3層構造。
1層目のかき氷にシロップをかける。
2層目のかき氷にフルーツやゼリー。
3層目のかき氷でふんわり閉じ込める。
最後にエスプーマシロップ。
窒素を混ぜて液状にしたものだ。
口に入れた瞬間、ふわっとしてすぐ溶ける。
そして、こだわっているのが器。
把手が付いたスープカップ。
食べ終わるとシロップが器に残る。
スープカップだと飲みやすい。
シロップとお客さんに考慮した形である。
3 店内は1年中暖かく
岡田桂子は大阪府出身。
関西大学卒業後、呉服店、銀行、飲食店で勤務。
34歳で企業 台湾茶の輸入販売を始めた。
かき氷が好きだった岡田桂子。
たまたま扱っていたお茶でかき氷を作った。
これがきっかけ。
2015年に”ほうせき箱”をオープン。
奈良でも珍しい通年営業。
冬になると客足は3分の1にまで減少する。
季節の差をどう埋めるかが至難の業。
茶粥やモーニングを始めてみた。
限定10食。
結果そのうち5食を自分で食べないといけない。
失敗も今では懐かしい思い出。
年中かき氷を楽しんでもらう為にしていること。
それは店内の温度調整。
真冬でも半袖で大丈夫な室温にしている。
26度湿度48%。
岡田桂子が考えた丁度良い温度。
4 母のロボホンに毎日連絡する
岡田桂子は5年前に離婚。
奈良で一人暮らししている岡田桂子。
休日は加圧マッサージで足を癒しながらSNS。
インスタグラムで人気が出た”ほうせき箱”。
2018年店舗拡大の為に移転した。
店の軌道が乗った時、父親が倒れた。
胆管ガン。
父親の願いは新しい店舗を見ることだった。
座ることもできない状態だった父親。
横になったまま小さいのを半分食べた。
「安心した」と言ってくれた。
今、母親は大阪で一人暮らししている。
岡田桂子は母親にロボホンをプレゼントした。
人工知能が搭載されたロボット電話。
見た目も愛嬌があるし、会話もできる。
散歩をしなくなったりメールの返信がないと、
岡田桂子と妹に連絡が入るシステム。
いつでも安否確認ができるのが嬉しい。
5 困ったときは氷室神社に行く
”ほうせき箱”ではかき氷の刃を交換するタイミングは、
1000杯に1回くらい。
1日300杯くらい作るので、通常3日はもつ。
良い刃であれば4日くらい。
ところが交換したばかりの刃が欠けてしまった。
閉店後、岡田桂子は氷室神社へ向かった。
刃をお祓いしてもらうのか?
宮司に面会。
欠けた刃を見せて説明。
宮司は「研いでみましょうか」
氷と縁が深い氷室神社。
宮司は氷に関する知識が豊富である。
かき氷の刃を研いで「100杯くらいはできる」と渡した。
岡田桂子はかき氷の機械が変な時も宮司に連絡する。
メーカーよりも近くの氷室神社。
すっかり頼り切っている。
6 閉店後はおやつタイム
共同経営者の平井宗助は岡田桂子をリスペクト。
コミュニケーションなどがとても丁寧だと言う。
しかし、岡田桂子にも苦手なものがある。
原価の管理。
計算が苦手でうっかりが多いらしい。
二人だからこそ店を大きくできた。
今では従業員は15名。
岡田桂子が大切にしていること。
閉店後に従業員と一緒におやつを食べること。
仕事中は忙しく話すこともできない。
お客様からいただいたおやつで、
閉店後にコミュニケーションをする。
これが大切な時間となっている。
7 同業者と競わない
ある日の岡田桂子。
近所にかき氷屋を始める男性の相談に乗っていた。
男性は小豆を乗せたかき氷を作りたいと言う。
和菓子屋が作っている小豆を作ることを勧めた。
男性の為に親身に相談に応える岡田桂子。
「かき氷ははしごができる食べ物」
それが岡田桂子の持論。
同業者は多いほどいい。
「1店舗では無理」
同業者と協力しながら”奈良=かき氷”を広める。
奈良に行ったら、かき氷を食べたい。
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