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2019年8月6日のセブンルール。
東京都の離島、青ヶ島。
人口はわずか170人ほど。
地形は二重カルデラ。
奇異であり、美しい島の名産”ひんぎゃの塩”。
その塩を作る職人、山田アリサ57歳。
突きつめた仕事ぶりは狂人なのか?
山田アリサのセブンルールとは?
1 釜の中は20分以上いない
八丈島からフェリーで2時間半で青ヶ島に到着する。
しかし、波が高い地域。
2日に1回は欠航するという。
国内なのに時間的にとっても遠い島である。
山田アリサの塩は海水を利用する。
朝8時半。
作業場の温度は56℃。
カメラが曇る温度。
汲み取った海水を釜に移す。
巨大な長方形の平たい釜の下に地熱蒸気が流れている。
13日かけて海水を結晶化する。
作業場にはいくつもの釜がある。
山田アリサは釜の水位をチェック。
水位が下がって来たら海水をほかの釜に移動する。
塩作りは体力が必要。
作業から20分後、山田アリサは作業場にいなかった。
体の中が湯立つと言う。
体の動きが悪くなるので20分以上続けて作業しない。
2 内地から来た人は地熱料理でもてなす
山田アリサは5分休憩後、仕事を再開。
結晶化し終え塩を取り出した後の釜。
こびりついた塩を徹底的に落とす。
この釜洗いは夏場は4時間以上かかる作業。
キレイに落とした後でないと新しい海水は入れられない。
5年前からアルバイトを雇っていた。
今年6月から契約社員が来ている。
大阪出身の坂口隆貴さん27歳。
助かっている。
おもてなし方法は島独自の料理。
ひんぎゃと呼ばれる噴気孔の蒸気を利用する地熱釜。
ここで野菜や卵や魚を蒸す。
島では誰でも自由に使える地熱釜。
どんな料理法よりも美味しい。
食べたい~。
3 塩の前では煩悩を捨てる
1962年生まれの山田アリサ。
青ヶ島で育った。
子供の頃はランプの生活。
日本の中で文明が遅れている感じ。
小学校の頃にテレビで民法が映された。
コマーシャルの面白さに魅了された。
当時、大人たちがいろんなCMを入れて芝居を作った。
山田アリサは心が揺さぶれた。
「いつか舞台に立ちたい」
女優を目指すきっかけになった。
20歳の時、文学座の養成所に入った。
しかし、1年後に研修科に残ることができなかった。
島に帰ると井上ひさしの次女が来ていた。
新しい劇団を立ち上げるから見においでよと誘われた。
観ると本当に面白かった。
こまつ座に入団。
しかし、もらったチャンスを掴めなかった。
両親が亡くなり島に帰った時、
男性が一日で辞めた仕事と聞いて塩作りに興味を持った。
初日は眩暈がした。
それでも16年経って、今は島の名産品。
塩作りを始めた頃は、
「今にみてろよ~」ってと思いながら作っていた。
だが、諸々の情念が塩に移ったらイヤだな思うようになった。
塩を作る時は煩悩を捨てる。
いい塩ができることだけを目指している。
4 食品は冷凍保存する
梅雨。
海が荒れる季節。
島への渡航が困難な時期である。
一週間ぶりにフェリーが着いた。
山田アリサはは夕方、店で食品を買いこむ。
買った食品は冷凍庫にすべて保存。
離島あるあるである。
5 娘と必要以上に連絡を取る
山田アリサは一人暮らし。
娘は鳥取の大学にいる。
青ヶ島には高校がない。
島の子供たちは15歳になると島を離れる。
娘とはまめにスマホで連絡を取っている。
便利になったものだ。
6 塩は透明な袋に入れる
山田アリサが作るひんぎゃの塩。
まろやかで甘みがあるのが特徴。
結晶化すると、次の作業は篩で粒を揃える。
篩に残った粒は粉砕機にかける。
それを篩に落ちた塩と混ぜて精製。
検品作業も重要な作業である。
人の目で不純物が入っていないかを確認する。
塩を入れる袋は透明な袋詰めと決まっている。
実は検品はまだ終わっていない。
塩を入れた袋を叩く。
多分、静電気の関係だろう。
不純物が袋の表面に張りついてくる。
これを取り除いて商品となる。
7 青ヶ島の塩を日本一にする
山田アリサはどうしてこんな一生懸命なのか?
女優として舞台に上がっていた時。
自分では頑張ってきたつもりだった。
しかし、
振り返ると頑張りが足りなかったと反省する山田アリサ。
「今度こそ使い切りたい」と言う。
悔いないように、懸命にひんぎゃの塩に賭ける。
ひんぎゃの塩を日本一にするために。
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