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2019年9月3日のセブンルール。
瀬戸内海に浮かぶ香川県、豊島(てしま)。
人口は約800人。
そのうち65歳以上の高齢者は約5割り以上。
豊島の健康を守るため、
そして島民の最期を見守るたった一人の常勤看護師。
小澤詠子のセブンルールとは?
1 毎日 患者と世間話をする
豊島の診療所、”豊島健康センター”。
高松市から医師が週に4日派遣される。
診療に来る患者のほとんどが70代から90代。
島で唯一常勤する看護師、小澤詠子39歳。
毎日、患者と世間話をしている。
それは少しでも早く異変を察知したいため。
会話の中で異変を探りだそうとしていた。
夢を思い出させてくれた豊島
小澤詠子は大阪で生まれた。
人と話をしていていい仕事に就きたかった。
だから、幼い頃から看護師になりたかった。
父親がガンになったのは、小澤詠子が高校生の時。
父を診てくれた看護師は「特に変わりないです」
そっけなく聞こえた。
病院に期待した分、「えっ?それだけ?」と失望。
看護師になりたい気持ちが無くなった。
大学は進学したが目的もないまま環境学を学んだ。
ここで豊島と出会った。
当時、豊島では産業廃棄物が不法に投棄されていた。
小澤詠子は友達と論文を書くためにやってきた。
そこで島民に寄り添う看護師と出会った。
定年後、引き継ぐ人がいない嘆いていた。
小澤詠子は自分の夢を思い出した。
卒業後、豊島に移住。
看護師免許を取得した。
2 島民に24時間対応の携帯番号を教える
午前の診療後。
小澤詠子は体調不良で寝込む女性のお宅を訪問。
診療所に来たくても来られない人も多い。
自宅へ訪問し様子を確認する。
何かあった時のために携帯番号を島民に伝えている。
24時間対応する携帯番号。
一人でどうしていいか困った時の助けになりたい。
心強い番号である。
3 週3回 夕飯はチャーハン
小澤詠子の自宅は高松市にある。
福祉関連の仕事をしている夫の拓也さん。
そして、3歳の息子と1歳の娘。
4人暮らし。
毎朝6時に起床し、船を利用して島へ通勤。
実は豊島にも自宅はある。
状況によって帰宅する場所を変えている。
共働きなので、子育ては大変である。
小澤家では、週に3回程夕飯にチャーハンを作る。
簡単で、残り野菜を処理することもできる。
そして、子供たちはチャーハンを喜んでくれる。
目の前のことに没頭しすぎる小澤詠子。
没頭しすぎて体調を崩すこともあった。
しかし、子供ができてからは変わった。
子供たちのために調整するようになった。
4 移動の時はリュックサック
豊島公民館からヨガ教室の案内を放送する小澤詠子。
翌日、子供から100歳の老人までが集まった。
小澤詠子は島民とともにイベントを考える。
いろんな世代が集まれるようにしている。
外にでかける時、小澤詠子はリュックサックを持つ。
これは両手が空くから。
両手が空けば作業もできる。
いつでも動けるように心掛けている。
5 オリジナルの住民MAPを作る
小澤詠子は仕事以外でも豊島の福祉について考えている。
島の老人ホーム”豊島ナオミ荘”と協力することもある。
ある日は、移動販売の車に同行。
高齢者が住みやすい島をめざしている。
半年前からしていることがある。
オリジナルの住民MAPの作成。
実際にどこが空き家なのか?
どの家が一人暮らしなのか?
このMAPは看護や福祉に役立てている。
6 月に2回 東京へ勉強しに行く
小澤詠子は娘と東京にいた。
トヨタ財団の助成金授与式に参加。
豊島の総合福祉サービスのプロジェクトを発案していた。
「島で死にたい」
小澤詠子は島民の願いを叶えたいと思っている。
月に2回、東京で勉強している。
外に出て知識の幅を広め、発想を柔軟にするためだった。
7 机の上に父のはがきを飾る
仕事と子育て。
日々、小澤詠子は両立に悩んでいる。
仕事に夢中になると子供たちを疎かにすることになる。
子供たちの大事な瞬間を見逃すことになる。
そこがツラい。
小澤詠子のはがきが飾られている。
小学2年生の時に父親からもらったものだ。
父との楽しい思い出を思い出す。
そして、あの看護師のことも思い出す。
今わかるのは声をかけて欲しかったことだけ。
自分にも父親にも声をかけてほしかった。
あの日の記憶が今も小澤詠子を衝き動かしている。
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