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2019年10月3日のカンブリア宮殿。
季節もの、限定ものに弱い日本人。
なぜか惹かれてしまう。
しかし、それとは一線を画す企業もある。
スナック菓子のトップはカルビー。
トップを追わない2位湖池屋のお話。
最初のポテトチップスは湖池屋
1967年、日本で初めてポテトチップスを量産化。
それが湖池屋。
1袋100円。
当時としは高額だったが、ヒットした。
子供用のお菓子なのに辛い、カラムーチョ。
メキシコのトルティーヤをヒントに作ったドンタコス。
湖池屋は無からも新たなものを作ってきていた。
飲料からスナック菓子へ転身した社長
湖池屋の社長、佐藤章60歳。
北海道今金町を訪問。
じゃがいもの収穫に立ちあう。
10年ほど前に開発された品種”きたかむい”。
収穫後、気温の低下で糖度が増す。
ポテトチップスには不向きとされた品種である。
しかし、佐藤章は”きたかむい”に未来を見た。
新しいポテトチップスの可能性を持っている。
他にない商品を作りたい。
社長室には他社の商品が飾られている。
”生茶”、”ファイア”など。
佐藤章はキリンビバレッジの商品企画を担当。
伝説のヒットメーカーだった。
スナック菓子を子供だけのものではない
業界2位だからおもいっきりできることもある。
湖池屋は業界トップを追わない。
”じゃがいも心地”。
包装はスナック菓子っぽくない。
イモの皮と実の間にある旨みを味わうために厚切りした。
大人向けにした理由は?
「スナックは子供だけのものではない」
味がわかる大人だから塩分を落として油分も調整した。
湖池屋の逆襲
佐藤章が社長に就任したのは、2016年。
現実は厳しかった。
ポテトチップスは値下げ競争をしていた。
問題点は何か?
佐藤章は現場に足を運んだ。
新商品会議。
鮨のガリのような味や赤ワイン味を提案している社員たち。
味替えばかり考えていた。
評判が悪かったのは、”モモ味”と”バナナ味”。
不味いといわれた。
無理をしてカルビーを追いかけていたのだ。
創業者の言葉で起死回生
社員たちは自信をなくしていた。
佐藤章は創業者・小池和夫の言葉にヒントを得た。
「ただ作ればいい ただ売ればいい それじゃダメ
手掛けた以上は完全にものにする
その業界で最高のものに持っていく」
もの作り、品質へのこだわり。
これが湖池屋の原点。
改革が始まった。
関東工場へ足を運んだ。
温度を3度かえて揚げる新商品を開発した。
それが2017年発売の湖池屋”プライドポテト”。
価格は通常の1.5倍。
だが、売れた。
社員の意識も向上した。
大手スーパーのマルエツ。
湖池屋の社員がスナック菓子全体のレイアウト任された。
そして、湖池屋の売上は40%アップした。
社内の空気は変わり、
若手社員がそれぞれ意見を言う環境ができた。
湖池屋の社員の育て方
湖池屋の研修。
自分が食べたいスナック菓子を社長に提案する。
その中に入社3年目の小林重文がいた。
小袋サイズのカラムーチョ。
袋を開けて、チーズやイクラなどをトッピングした。
佐藤章社長も興味をそそられた。
小林重文には人を惹きつける力がある。
カラムーチョの商品開発会議。
辛さから考えを変えられない小林重文。
上司はターゲットを知るようにと言われた。
週末。
杉並区のスパイスの専門店。
世界各地のスパイスをトッピングしたドリンクを提供する店。
世の女性たちがどんなスパイスに興味を持っているのかを勉強。
湖池屋では社員の個性を伸ばし、やりたいことをさせる。
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