今日ドキッ!札幌南1条通の今昔を昭和30年を描いた絵で検証!


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2019年12月25日放送の今日ドキッ!。

今日のほっかいどう歴史散歩。

札幌南1条通の南側の今昔を東から西へと探索!

1955年(昭和30年)頃の南1条通を描いた絵

この絵を描かれた吉村政昭(76)さん。

1943年に狸小路近くで吉村政昭(76)さんは生まれ育ちました。

「都心に近いところに住んでいたので、なんとなく覚えている記憶を頼りに書いた」

札幌の街づくりは創成川と南1条通から始まった。

だから早い段階から札幌の経済や文化の中心地として栄えた歴史がある。

それは1899年(明治32年)の札幌市街明細案内図を見てもあきらか。

その当時の面影をそのまま残しているのが南1条西1丁目にある薬局。

秋野総本店薬局

実はこの薬局前の歩道だけ狭いままになっている。

これは昔の歩道の幅がそのまま残っている証拠。

昔は南1条通の道幅が今の薬局までしかなかった。

通り自体が昔は狭かった。

市電も通っていて軌道の分だけ車道が無く、なおさら狭く感じた。

南1条西1丁目の北側の西角

そこには2003年(平成15年)まで日本劇場という映画館があった。

この日本劇場は映画会社直営の封切館。

当時の新作映画は先ず系列の封切館で上映。

およそ1ヵ月おくれで2番館と呼ばれた系列外の映画館で上映された。

南1条西2丁目の丸井今井にあった塔の話

札幌飛行場というのが、今の札幌北高校のある北24条付近にできた。

その時に、この塔が札幌の目印になる為に飛行機の灯台の役割をしていた。

それを当時の軍から委託されて作ったと言われている。

夜はライトで照らされ50キロ以上遠くからも確認できた。

大丸藤井セントラルの場所にはHBC(北海道放送)があった!

南1条3丁目(南側)。

かってここにHBC(北海道放送)があった。

街頭テレビとして10分程度のニュース映画を放映。

勿論テレビドラマとかはやっていなかった。

そして隣のパルコにあったのが富貴堂。

道内最大の書店だった。

小中高の教科書は富貴堂で売っていた。

また2階の売り場では楽器を売っていた。

それがなんとオーケストラで使うような楽器。

誰が買うのか疑問だった。

昔の三越は今の建物の半分くらいだった

南1条西3丁目(北側)。

三越百貨店の幅は今の半分くらい。

その隣には北陸銀行があった。

焼き過ぎレンガという種類で造った洋館だった。

もし、今あったら観光名所になっていたかも。

当時の札幌には似たような洋館が中心部に一杯あったそうな。

二本の電車の軌道が直角に交差していたから十字街

駅前通と南1条通、すべてここ十字街に停留所があった。

ここで、どっと人が降りて、もちろん買い物の後はここから帰る。

今の地下歩行空間くらいの人波が常にあった。

吉村さんの絵が描かれてた時代から64年。

残っている建物もあるけど無くなってしまった建物のほうが圧倒的に多い。

大分入れ替わって街並みが一変してしまった。

札幌は日本の都市の中でも東京と比較しても遜色なく変化が大きかった街。

街が発展する事は良い事。

しかし同時に残す事の大切さも実感できた歴史散歩でした。

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