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2020年9月29日のセブンルール。
広島県尾道市。
小津安二郎の「東京物語」
大林宣彦の「尾道三部作」
多くの映画の舞台になった。
しかし、2001年尾道から映画館が消えた。
その後2008年にようやく復活。
”シネマ尾道”。
支配人、河本清順のセブンルールとは。
1 予告は5分まで
河本清順の仕事は映写機の立ち上げから始まる。
映写はPC操作。
サーバーの中に映画のデータが詰まっている。
トラブルがあるとスクリーンに影響が出る。
映画館は112席。
1日に、4~5本上映する。
「ハ二―ランド」
女性養蜂家のドキュメンタリーを上映。
上映後、河本清順は次の仕事を取りかかる。
今週末から公開される映画のデータ作りだ。
予告をどうするかを決める。
河本清順は「予告編はおおむね5分」がルール。
それ以上長いと本編前に疲れてしまう。
お客さん目線での配慮だ。
2 上映スケジュールは手渡しで届ける
河本清順に一人のお客さんが話しかけてきた。
友人と一緒にどんな映画を観ればいいか相談だ。
明るい映画を提案した。
観る映画をアドバイスすることは多い。
「映画のスタイリスト」だと言う。
上映ケジュールが出来上がると、
街中の商店など200カ所に手渡しする。
郵送すれば楽である。
しかし、直にお客さんに会う。
映画好きな人たちから新しい映画の情報が入る。
次の上映の参考になる。
3 冒頭5分で引きこまれなければ上映しない
河本清順の名前は映画監督、鈴木清順と同じ。
祖父が付けてくれた名前。
祖父はよく映画に連れて行ってくれた。
2001年「尾道松竹」が閉館。
尾道市の映画館がなくなった。
河本清順は24歳だった。
「尾道に映画館をつくる会」を立ち上げた。
全国のミニシアターで経営方法を学び、
2ヵ月に一度ほど商店街で上映活動。
4年後に”シネマ尾道”ができた。
建設費2700万円。
中古品を使い少なく押さえた。
地元の企業や個人の方から募金もしてもらった。
大林宣彦監督もその一人。
河本清順は帰宅しても映画漬け。
DVDで上映候補作品を観る。
選ぶポイントは冒頭5分。
ここで面白さが決まる。
冒頭で引きこまれなければ上映しない。
”シネマ尾道”の映画はハズレなしだと豪語する。
4 毎日 夫と乾杯する
河本清順は夫・賢一さんと二人暮らし。
5月に籍をいれたばかりの新婚。
賢一さんには仕事の相談をすることもある。
仕事のあとは、二人で乾杯する。
河本清順はワイン。
夫はビール。
二人の大事な時間である。
5 映画人には尾道の美味しいものを食べてもらう
深田晃司監督が仕事で近くに滞在。
”シネマ尾道”を訪問してくれた。
河本清順はトークイベントを開催。
イベントの後、
映画関係者には必ず美味しいものを食べてもらう。
尾道の魅力を知ってもらう。
河本清順もそれを楽しみにしたいる。
以前、井浦新が来た時は”尾道ラーメンたに”を紹介した。
6 気合いを入れる日は前髪を切る
数日後の映画イベントのためスタッフを打ち合せ。
ドライブシアターを行うのだ。
イベントの名前は「星空おやこ映画館」
親子が楽しめるように選んだのは、
「ミニオンズ」
イベントの前日。
河本清順は洗面所で前髪を整える。
イベントで舞台挨拶がある。
前髪に注目が集まるのを意識してのこと。
イベント当日。
45台集まった。
映画だけでなくシチュエーションも記憶に残ってほしい。
7 挫けそうなときはゴダールの台詞を思い出す
「ロングデイズ・ジャーニー」
むちゃくちゃいい映画だが、客足が伸びない。
新型コロナの影響もあるのかもしれない。
河本清順は挫けそうな時思い出す台詞がある。
ゴダール監督の「女と男のいる舗道」。
主人公が言う「仕方がない」
哲学的なことをずっと話すが、
最後は「仕方がない」と納得するのだ。
「人生の教科書」だと言う。
懸命にやってもどうしようもない時もある。
だから、「仕方がない」。
諦めるのではない、受け入れる言葉である。
映画を観たお客さんが「いい映画だった」と言う。
これが河本清順の生きる励みになる。
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