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2020年12月22日のセブンルール。
キャンプ用品のスノーピーク。
社長は山井梨沙33歳。
社長に就任時は、32歳だった。
まだ社長になりたて。
しかも小娘。
しかし、ただの小娘じゃない!
1 初めての仕事相手とは焚火を囲む
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1958年に創業したスノーピーク。
山井梨沙は3代目の社長だ。
某日、島根県の隠岐諸島にいた。
もちろん仕事。
西ノ島のダイナミックな自然に感動。
夕方、マリンポートホテル海士へ。
スノーピークではグランピングの監修もする。
ホテルは改築中。
自然と共存するホテルを目指している。
更に暗くなった頃。
なかむら旅館の駐車場に島人が集まっている。
山井梨沙もマリンポートホテルの支配人もいる。
スノーピークの焚火台を囲んでいる。
「焚火を通すと鎧が取れて、
自分の人間性が周りの人たちに伝わっていく」
肩書に拘らず、一人の人間でありたい。
人間・山井梨沙でありたいと思っている。
2 毎朝 出勤途中に神社を通る
山井梨沙は幼い頃、父親と毎週末キャンプをしていた。
自然の摂理や人とのかかわりもキャンプで学んだ。
朝9時、スノーピークの東京オフィスへ行く。
千駄ヶ谷にある鳩森八幡神社の境内を通る。
神社の中は空気感が変わる。
朝の胸騒ぎが1回落ち着く。
気分を新たに会社へ行くことができる。
3 服を作るときは「生地」から決める
山井梨沙は1987年新潟に生まれた。
4人兄弟の長女。
創業者一族に生まれた山井梨沙。
一番校則が厳しい女子高に入った。
スカートの丈や化粧をしているかで人格が否定。
たまらず、高校でぐれてしまった。
しかし、服を作ることに夢中になる。
服飾系の大学を卒業。
デザインと機能性を両立したいとりたいと、
スノーピークに2012年一般で入社。
2014年にアパレル事業を立ち上げた。
だが、スノーピークは過去2回アパレルで失敗。
周りには「こける」と言われた。
しかし、
今にみてろと山井梨沙は踏ん張った。
アウトドアの機能性と、街で着られるファッション。
これらを融合して作ったのが、
TAKIBIベスト。
その後の業績を評価された。
山井梨沙は32歳で社長就任。
今も服作りを止めない。
素材の魅力を活かしたデザインを作る。
生地の魅力を最大限に活かす。
4 寝る前に「静かなるドン」を読む
休日の山井梨沙。
自宅で愛犬に癒される。
部屋には緑が多い。
就寝時。
山井梨沙はベッドでスマホを見ている。
それは「静かなるドン」。
毎日1話ずつ呼んでいる。
57巻目。
主人公の近藤静也に自分を重ねる。
近藤静也の仕事ぶりが参考になるらしい。
5 職人に会うときはひとりで
会津若松市の原山織物工場。
400年の歴史を持つ会津木綿の工場。
スノーピークのローカルウエア。
お客様と地域をつなげる事業。
体験ツアーも行っている。
職人の技術を守るのも仕事の一つ。
直接職人のこだわりを学んでいる。
経糸を綜絖に通す。
山井梨沙はその作業を観ているのが好きだと言う。
職人に会う時は必ず一人に行く。
しっかり信頼関係を作るためだ。
企業ではなく、人として会いたい。
それが山井梨沙である。
6 新潟・東京、二拠点で生活する
新潟にある本社にいる山井梨沙。
商品企画開発チームとミーティング。
「もっと突き抜けてください」
と、アドバイス。
新潟では古民家を改装した新居に住んでいる。
これから生みだすことは新潟。
人に会うときは東京。
二拠点で可能性がひろげている。
7 父に助けを求めない
新潟三条市。
本社と併設されたキャンプ場。
多くのユーザーに商品の改善点を聞いている。
入社以来、父親から助言されたことがない。
いつも壁にぶつかってばかり。
「自分で考えて、
とにかく自分で経験値積んで、
自分で判断しろ」
キャンプしながら父親からは学んでいた。
これからは、
世の中をより生きやすく考えるだけだ。
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