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2020年3月25日(水)放送の今日ドキッ!
ほっかいどう歴史散歩-地名のルーツを尋ねての桑園編。
実は桑園という地名は正式な住所には使われない通称の地名。
何故、その通称が地名として定着したのか?
今の開発建設部のあたりに作られた養蚕伝習所にそのルーツはあった。
開拓使の黒田清隆長官の肝いりで始められた養蚕事業
養蚕とはカイコを飼育し絹を取ること。
絹織物や生糸は外国の高く売れる産物。
屯田兵と家族の副業として定着。
黒田清隆長官は大判官松本十郎に養蚕事業の推進を指示。
1875年(明治8年)に松本の故郷の庄内藩(今の山形県)から養蚕の技術者を招く。
カイコを育てる為の餌は桑の葉。
当時、北7条から北1条、西8丁目から西18丁目の範囲でカイコを育てる為の桑が植えられた。
その広さ、なんと約21万坪。
技術者集団の出身地の名をとって酒田桑園と呼ばれたそうな。
今は北海道知事公館の入口の前に植えらえた桑の木を確認できる。
酒田から来た技術者が今の知事公館の敷地の中に宿泊して作業をした。
その証として知事公館内には桑園碑が建てられ毎年桑園開拓まつりが開かれている。
中島公園から移転してきた札幌競馬場
その昔、中島公園に中島競馬場があった。
その名は中島遊園地競馬場。
より広いコースを作るために今の場所(桑園)に移転してきた。
当時、馬術というのは屯田兵にとっての武人のたしなみ。
普段、農耕で馬を使っているので馬がとても身近にあった。
それゆえに当時の競馬の人気は大変なものだった。
元々は何もない場所に建てられた競馬場。
それが競馬場の来場者を見込んだ商店が一気に60軒以上に増えたと言われている。
その後、1924年(大正13年)に鉄道駅ができ桑園と名付けられた。
このため、元々桑畑があった場所より北側の地区に桑園の名前が定着した。
札幌競馬場が忠実に東西南北を向いている訳
札幌の街は碁盤の目。
だけれども東西南北をきちっと向いている訳ではない。
元々は江戸時代に作られた大友堀、現在名「創成川」を基準としているので、正確な東西南北に対して約9度、西に回転している。
1887年(明治20年)に今の新川が作られた時に、それとセットで作られたのが樽川街道。
新川には支線・排水路が何本かあるが、そのどれもが正しい南北を向いている。
ゆえに競馬場が正しい東西南北を向いているのは先に作られた樽川街道を基準に作られたからが正解。
桑園地域の変遷
一時期、市電も走っていた桑園地区。
本来の意味の桑園は北1条の知事公館周辺が中心。
そこから10条も離れた位置の駅に名付けられた桑園という名前。
それが時代とともに駅一帯を指す通称の地名に変化していった不思議。
歴史の面白さを感じる一時(ひととき)だった。
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